酒井田柿右衛門ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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歴代柿右衛門 3

 

酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)とは
安土桃山時代から江戸時代までを生きた
肥前国有田の陶芸家です。

誕生時期:1596年11月15日
死亡時期:1666年

 

そして代々その子孫(後継者)もまた
”酒井田柿右衛門”を襲名しています。

現代は2014年に襲名した
第十五代酒井田柿右衛門が当代です。

 

初代の酒井田柿右衛門とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
酒井田柿右衛門について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

酒井田柿右衛門ってどんな人?

近代・歴代柿右衛門〈2〉 (増刊緑青)

酒井田柿右衛門の誕生日

初代酒井田柿右衛門は
1596年11月15日(慶長元年9月25日)
酒井田弥次郎(円西)の子として生まれます。

 

父の酒井田園西は、筑後地方の領主でしたが
肥前国(現在の佐賀県)の龍造氏との戦いに敗れ
人質として、肥前白石郷に移ったそうです。

 

酒井田柿右衛門は始め、
酒井田喜三右衛門という名前でした。

 

酒井田柿右衛門と有田町

1619年頃、父の酒井田円西は
質の良い陶土を求めており、有田泉山で
白磁鉱が発見されたということで、
酒井田柿右衛門と共に有田町に移ります。

※白磁(はくじ)白色の下地に透明な
ガラス質の溶液を施した陶器の総称。

 

酒井田柿右衛門は
豊臣秀吉御用焼物師の高原五郎七
東島徳右衛門らに陶磁器の製法を教わります。

 

また中国の磁器を研究して
中国の上絵付けの技法を学びます。

 

酒井田柿右衛門と日本初の赤絵物

当初は親子で、陶器や白磁、
染付などの陶器を制作していました。

 

1643年頃、酒井田柿右衛門は
赤絵物の製作を始めたと言われています。

赤絵とは、赤色を主として
彩色を施した陶磁器のことです。

 

そして酒井田柿右衛門によって、
日本で初めて赤絵物が成功したことから
酒井田柿右衛門」を名乗り始めたと言います。

 

酒井田柿右衛門と海外輸出

酒井田柿右衛門は長崎で売り始め、
1647年には初めて日本の磁器が
オランダなど海外へ輸出されることに。

酒井田柿右衛門の陶磁器は国内外に
大きな影響を与えて、1660年頃には
オランダ東インド会社による
日本磁器輸出が本格化されていきます。

 

輸出の本格化によって、磁器は
ヨーロッパの国々に大量に運ばれます。

酒井田柿右衛門の磁器は
初期の花形として海外で高く評価され、
ヨーロッパの貴族たちは初めて目にする
美しく華麗な色絵磁器に魅了されたといいます。

 

酒井田柿右衛門様式の確立

その後も、酒井田柿右衛門は
金と銀の絵付にも成功します。

 

また、柔らかくて温かみのある
乳白色の下地に赤を焼き付けるという
柿右衛門様式を確立させました。

 

酒井田柿右衛門の最期

酒井田柿右衛門は
1666年7月20日(寛文6年6月19日)に
亡くなります。享年71歳。

 

最後に

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初代の酒井田柿右衛門とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
酒井田柿右衛門について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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