三国干渉(さんごくかんしょう)は明治時代に
フランス、ドイツ、ロシアの三国が
日本に対して行った勧告です。
この行いを契機に日本国内では
「臥薪嘗胆」が叫ばれ、反発が強まります。
三国干渉とは何か?
どのような内容だったのか?などなど
三国干渉について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
三国干渉とは?
三国干渉とは、
日清戦争後の1895年4月に
フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の
三国が日本に対して遼東半島の
清国への返還を要求した事件です。
結果、日本は遼東還付条約に調印し、
遼東半島を清国(現在の中国)に返還したのです。
三国干渉までの経緯
下関条約締結【三国干渉】
1894年7月に起きた日清戦争で
清に勝利した日本は、翌年に清と
下関条約(日清講和条約)を締結します。
下関条約で日本は、
清から2億両の賠償金や遼東半島、
台湾などの割譲を得ました。
日本進出を危惧するロシア【三国干渉】
その中の一つ、
遼東半島は満州南端に位置し、
旅順・大連という良港があります。
さらに兵器製造所などもあったことから、
日本は自国の領土を拡げようとします。
しかし
それはロシアなどにとっても同じことで、
当時南下政策を進めていたロシアにとっても
遼東半島は重要な拠点であったのです。
日本が遼東半島を支配すれば、
周辺の国も日本に脅かされると考えた
ロシアとドイツはフランスとも手を組んで
日本に対して干渉することにしました。
三国干渉による影響
中国分割【三国干渉による影響】
日本の国力では三国に
対抗できないことが分かっていた日本は
三国干渉による勧告を受諾し、
遼東半島を清に返還します。
以後、ロシアは
満州に鉄道敷設権を獲得して
遼東半島を租借地とします。
そしてフランス、ドイツと
中国分割を進めていきます。
日英同盟の締結【三国干渉による影響】
イギリスはドイツ、ロシアの進出に
対抗して中国分割に加わります。
ロシア進出を危惧したイギリスは
日本と利害が一致したため、1902年に
日英同盟を締結することとなります。
臥薪嘗胆【三国干渉による影響】
三国干渉の際、日本は
ただ清に遼東半島を返還したわけでなく、
代わりに清国から銀3000万両を払ってもらいます。
この日本の政府の動きに対して、
日本国民は激しく反発します。
そこで日本政府は
臥薪嘗胆をスローガンを掲げて
国民の反発をロシアに向けるようにします。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
復習心に誓って辛く苦しい思いをすること。
また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。
こうして対ロシア戦への準備を進め、
1904年への日露戦争へとつながっていくのです。
最後に
この記事では三国干渉とは何か?
どのような内容だったのか?などなど
三国干渉について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。