日英同盟とは?【わかりやすく解説】

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イギリスの国旗
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日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰 (角川ソフィア文庫)

 

明治維新以降、日本は欧米列強と
対等になるべく近代化を推し進めます。

 

日清戦争に勝利した日本の前に
立ちはだかったロシアに対抗するために
イギリスと同盟を結ぶこととなります。

 

日英同盟とは何か?
どのような同盟だったのか?などなど
日英同盟について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

日英同盟とは?

日英同盟―日本外交の栄光と凋落

日英同盟とは、1902(明治35)年に
日本とイギリスの間で結ばれた軍事同盟です。

1905年と1911年に目的な内容を
少しずつ改定しながら継続しています。

 

しかし第一次世界大戦後に
ワシントン会議が開催されます。

その会議で四か国条約が締結された為、
日英同盟の更新は行われず、1923年に
事実上の廃止となりました。

 

日英同盟はなぜ結ばれた?

イギリスは19世紀後半から
どの国とも同盟を結ばずに、
一定の距離を置いていました。

そんなイギリスはなぜ、
日本と同盟を結んだのでしょうか?

 

日本にとっても、イギリスにとっても
当時のロシアが脅威だったからです。

 

 

まず日本は1894年の日清戦争で勝利し、
下関条約を結んで、遼東半島を譲り受けます。

しかしロシア、ドイツ、フランスによる
三国干渉を受けた為、遼東半島の
返還を強いられたのです。

 

さらに中国で起きた義和団事件後には、
ロシアが満州に居座って
朝鮮支配をうかがう状態が続きます。

日本は朝鮮の権利をロシアに奪われる
のではないかと警戒していきます。

 

また当時のロシアは、年中使用できる
凍らない港(不凍港)を確保するために、
領土を南に広げようと考えます。

そのたびにイギリスとロシアは対立、
イギリスにとってもロシアは脅威となっていました。

 

日本国内では、
ロシアと戦っても勝ち目はないから
ロシアに満州をゆずって、朝鮮半島を
確保するという満韓交換論
イギリスと同盟を結びロシアに対抗する
日英同盟論で論争が繰り広げられます。

 

結局は、満韓交換論であった伊藤博文らを
抑えて、桂太郎や小村寿太郎らの交渉によって
日英同盟が結ばれていくことなったのです。

 

日英同盟の内容

「日英同盟」協約交渉とイギリス外交政策

ここでは
日英同盟の内容
を紹介します。

 

第一次日英同盟

1902年に締結された
第一次日英同盟は主に以下の内容です。

  • イギリスの中国での権利と日本の中国・韓国での権利を互いに承認する
  • 第3国と戦争となった場合、他の一方は中立を守る

この同盟の内容により、
日露戦争ではイギリスは厳正中立の立場を貫きます。

 

第二次日英同盟

1905年の第二次日英同盟は
少し内容が改定されます。

  • イギリスの東アジア、インドの権利と日本の韓国における優越権を互いに承認
  • 第3国と戦争になった場合、お互いに軍事的援助の義務

本格的な軍事同盟となっていきます。

 

第三次日英同盟

1911年の第三次日英同盟は
次の内容へと改定されます。

  • ドイツの脅威を対象に加える
  • 日英同盟の交戦対象国からアメリカを除く

イギリスは日露戦争後に悪化した
日米関係を危惧して、日英同盟の対象国から
アメリカを除くことを望みました。

 

最後に

風刺画にみる日露戦争

この記事では
日英同盟とは何か?
どのような同盟だったのか?などなど
日英同盟についてなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

 

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