明治政府が行った「台湾出兵」とは何か?【目的などもわかりやすく解説】

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時空旅人 2018年9月号 Vol.45 [ 台湾 見聞録 ー 日本が残した足跡を訪ねて ー]

 

1873年、征韓論によって
多くの政府の人間が辞職をし、
明治時代初期の大きな政変となります。

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しかしその1年後に、明治政府は
日本で最初の海外派兵となる
台湾出兵」に踏み切りました。

 

明治政府の行った「台湾出兵」とは何か?
台湾出兵の目的は?などなど
台湾出兵について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

明治政府の行った「台湾出兵」とは?

台湾出兵―大日本帝国の開幕劇 (中公新書)

台湾出兵とは
1874(明治7)に明治政府が行った
台湾に出兵をした事件です。

これは征台の役(せいたいのえき)とも呼ばれます。

 

明治政府は西郷隆盛の弟である
西郷従道(つぐみち)の率いる討伐軍を台湾に派遣。

西郷隆盛の弟について。

 

しかしイギリス及び諸外国は、
日本と清国の戦争はアジアを不安定にして
貿易活動の障害になることを恐れました。

その結果、日本と清国は
イギリス公使ウェードの仲介で妥協を成立

 

清国(中国)は日本の台湾出兵を
「正義のための行為」と認めて
50万両の賠償金を支払ったのです。

 

なぜ明治政府は「台湾出兵」を行った?

ボワソナードと国際法――台湾出兵事件の透視図

台湾出兵となったきっかけは、
1871年に琉球漁民殺害事件が起こったことです。

この事件は、当時の琉球王国に属する
宮古島の貢納船が台湾に漂着した際に
琉球漁民54名が台湾の先住民に殺害されたのです。

 

また、江戸時代から琉球王国は
日本と清国の両方に属していて
その中途半端な状態は明治時代まで続いていました。

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そのため、明治政府は
今回の琉球島民遭難事件を
琉球帰属問題に利用しようと考えたのです。

明治政府の外務卿である福島種臣
清の政府へ打診をしたところ、清国は
「台湾の先住民は清国の支配下ではない」と
責任逃れを図ります。

この主張に対して、日本は
「琉球民は日本国民であり、台湾の
先住民に対して清国が処罰できないなら
日本自らが討伐する」と主張。

 

しかし多くの諸外国が台湾出兵に反対した為、
日本は一度中止しようとしますが、1874年5月に
陸軍中将の西郷従道が現地討伐を断行したのです。

 

明治政府の「台湾出兵」の目的は?

明治国家と万国対峙 近代日本の形成 (角川選書)

明治政府が台湾出兵を行った
目的は次の2つが挙げられます。

  • 琉球王国を日本の領土と認めさせる
  • 日本国内の不満をそらす

日本の領土と認めさせるというのは、
先述の通りですね。

日本国内の不満をそらすというのは、
当時、征韓論を否定したことで、
武士たちの間で不満が高まっていました。

そのため明治政府は、不平士族の意向を
反映する必要があったと考えられます。

 

1873年には明治六年の政変で
征韓論を支持していた人たちが
一斉に政府を辞職しています。

しかし明治政府は、
そのすぐ翌年には台湾出兵を行ったのです。

「出兵より先に日本国内を整えよう!」と
考えていた大久保利通でさえ
台湾出兵には賛成していたそうです。

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征韓論に反対した人たちも、基本的には
外国への領土拡張を考えていたのですが、
朝鮮への出兵はまだ早い!という考えと
琉球帰属問題という領土問題の懸念があったのでしょう。

 

最後に

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この記事では
明治政府の行った「台湾出兵」とは何か?
台湾出兵の目的は?などなど
台湾出兵についてなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

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