上杉謙信は、戦乱の世を生きた武将で
「軍神」と呼ばれるほど”戦上手”な人物でした。
そんな上杉謙信は、戦国時代では珍しい
「義」を重んじる武将
であったことは、ご存知でしょうか?
この記事では
上杉謙信はどんな性格だったか?
上杉謙信のエピソードなどから考察して
簡単な言葉でわかりやすく解説していきます。
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上杉謙信の性格について
上杉謙信の性格については
大きく分けると次の二つです。
- 義を重んじる性格
- 信心深い性格
上杉謙信の性格は、幼い頃に林泉寺という寺で
過ごしたことが大きく影響しているようです。
また上杉謙信の母「虎御前」も
信仰深い性格であったことなどが
関係しているかもしれませんね。
上杉謙信は義を重んじる性格だった?
戦国時代というと
自分の領地拡大の為に敵の将軍と戦ったり、
下克上や裏切りなどが当たり前でした。
そんな中で、上杉謙信は
義を重んじる性格だったとして有名です。
まわりの将軍を助ける【上杉謙信の性格について】
上杉謙信の性格は
戦(いくさ)中の行動から分析できます。
上杉謙信の戦い中のエピソードは多く
まわりの将軍を助けたことでも有名です。
当時、自分の私利私欲のために
戦をする戦国武将がほとんどでしたが、
上杉謙信は違いました。
上杉謙信の多くの戦(いくさ)は
将軍を助ける為のものだったのです。
12年の間に5回も武田信玄と戦ったとして
今でも歴史に名を残す”川中島の戦い”も、
村上義清から援護を求められたことから始まります。
敵に塩を送る【上杉謙信の性格について】
上杉謙信のエピソードとして
「敵に塩を送った」話が非常に有名です。
それは、今川義元に塩止めをされてしまった武田信玄が窮地に陥ったときのこと。
武田氏の領地である甲斐・信濃国は
海のない内陸地なので、塩が取れません。
さらに今川氏は北条氏にも、
武田氏に塩を送らないように手を回します。
そこへ助け舟を出したのが上杉謙信です。
上杉謙信は、この今川氏の行動を
「卑怯な行動」と批判して、
武田信玄に塩を送ったという逸話があります。
「敵に塩を送る」は、
ことわざにもなっていますね。
上杉謙信は信心深い性格だった?
上杉謙信は信心深い性格でもありました。
当時のエピソードからこの性格分析ができます。
上杉謙信は毘沙門天を特に深く信仰していて
自身の旗印にも「毘」の文字を用いています。
また上杉謙信は、家臣にも次のように言っていました。
われを毘沙門天と思え
上杉謙信は、自らを毘沙門天の化身だと思っていたそうです。
※毘沙門天(びしゃもんてん)とは
仏教における神様のことを指します。
上杉謙信は生涯独身だった?
上杉謙信は、生涯独身でした。
戦国の時代には跡継ぎを残す為に
何人もの奥さんがいたことが当たり前。
しかし、上杉謙信は生涯独身を貫き、
侍女すらも傍に置かなかったと言われています。
これは、毘沙門天に「生涯不犯」の誓いを立てたことが理由と考えられています。
最後に
この記事では
上杉謙信はどんな性格であったのかを
上杉謙信のエピソードなどから考察して
簡単な言葉でわかりやすく解説しました。