西郷隆盛(さいごうたかもり)は「維新の三傑」の一人とも呼ばれ、幕末期に活躍した人物です。
西郷隆盛には3人の弟がいました。
それぞれの弟はどのような人物で
どんな人生を送ったのでしょうか?
この記事では
西郷隆盛の弟について紹介していきます。
西郷隆盛の弟について
西郷隆盛の弟は次の3人です。
- 西郷吉二郎
- 西郷従道
- 西郷小兵衛
西郷吉二郎【西郷隆盛の弟】
西郷吉二郎(きちじろう)は1833年に
西郷家の次男として誕生します。
吉二郎は郷中教育で子供たちに
習字を教えていたそうです。
しかし島津斉彬に見出されて江戸へ、
さらに後には島流しにされてしまいます。
その間の西郷家を支えたのは次男の吉二郎。
しかし、兄の隆盛や
弟の従道の行動によって
謹慎処分などの罰則を受けています。
さらに1862年、西郷隆盛の流刑の際には、
西郷家の男子全員が無職となってしまいます。
この頃の吉二郎は
一日中農作業や馬の世話、
幼い弟たちの養育もしたりと、
非常に大変な生活をしていたようです。
西郷隆盛が、国の政に奔走できたのは
この弟の吉二郎のおかげと言っても過言ではありません。
西郷隆盛は「実際の兄は吉二郎」と言うほど
西郷吉二郎のことを尊敬していたようです。
1869年の戊辰戦争で、
吉二郎は戦死してしまいます。享年36歳。
西郷従道【西郷隆盛の弟】
西郷隆盛の弟の中で一番有名なのが
三男の西郷従道(つぐみち)です。
読み方は”じゅうどう”という説もあります。
西郷従道は1843年に誕生し、
成長して茶坊主となりますが
還俗して隆興、通称信吾と改名をします。
戊辰戦争後は山縣有朋らと共に
ヨーロッパ兵制調査研究の為、渡米。
1872年陸軍少将となり、陸軍内で
地位を固めて陸軍の向上に努めます。
明治維新後に征韓論で敗れた西郷隆盛が
帰郷した際、西郷従道は明治政府に留まります。
その後の西南戦争で西郷従道は
政府の留守役として東京に残ります。
のちは海軍に転じて樺山資紀、山本権兵衛、
安保清康らを抜擢して海軍の基礎を築きます。
また西郷従道は
海軍大臣、内務大臣、枢密顧問官など歴任、
1898年には日本海軍初の元師の称号を賜ります。
侯爵の位を授爵していて、
まさに大出世を成し遂げました。
1902年、西郷従道は
自宅で静かに息を引き取ります。享年59歳。
西郷小兵衛【西郷隆盛の弟】
四男の西郷小兵衛(こへえ)は
面影や性格が最も西郷隆盛に
似ていたと言われています。
西郷隆盛と西郷小兵衛は
年が大きく離れていた為、
この西郷小兵衛は西郷隆盛が
一番可愛がっていた末弟だったそう。
1877年に西南戦争にて従軍しますが、
高瀬の会議で西郷小兵衛は戦死してしまいます。
最後に
この記事では
西郷隆盛の弟について紹介しました。