結論からいいますと
最澄の死因は不明です。
- 最澄の誕生日:767年9月15日
- 最澄の命日:822年6月26日
※最澄の最期の年齢は56歳
最澄が死ぬ前にいた最後の場所は
比叡山の中道院だとされています。
そして最澄の最期は、釈尊入涅槃の儀式に従って
頭北面西右脇臥で「円寂」したと伝わっています。
※釈尊入涅槃の儀式:仏教のお釈迦さまの儀式
「最澄の死因は頭北面西右脇臥で円寂?どういう意味??」
↓
- 頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)の意味:仏教の言葉で、お釈迦さまが死んだ時の姿を指す言葉。
※その姿にならって、人が死んだ時は死者を北枕にし、顔を西に向け、右脇を下にして寝かせる - 円寂(えんじゃく)の意味:悟りの境地。仏教の僧が死ぬことを指す。
最澄は「悟りの境地」に達したため死んでいない、
つまり「死因は無し」ともいえるかもしれません。
最澄はどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】
最澄(さいちょう)は奈良時代から平安時代前期までを生きた僧です。
- 最澄の誕生日:767年9月15日
- 最澄の命日:822年6月26日
※最澄の最期の年齢は56歳
最澄はあの日本天台宗の開祖です。
最澄はどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
最澄の生涯ついて
以下でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
※最澄の死因考察にもぜひお役立てください💡
- 最澄の誕生日
- 最澄の出家
- 最澄と比叡山延暦寺
- 最澄と桓武天皇
- 最澄と天台宗
- 最澄と空海
- 最澄と大乗戒壇
- 最澄の最期
最澄の誕生日
最澄(さいちょう)は
767年9月15日(神護景雲元年8月18日)に
近江国(現在の滋賀県大津市)の豪族である
三津首百枝(みつのおびとももえ)の子として誕生します。
※766年誕生の説もあります。
幼名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。
最澄の出家
両親の深い仏教への信仰の影響もあり
三津首広野は12歳で近江国分寺の僧の
行表(ぎょうひょう)に弟子入り(出家)します。
780年、14歳になると国分寺僧の補欠として僧になり、法名を「最澄」とします。
785年、東大寺で仏教僧の規則となる戒律を受け、7月に比叡山にこもって山間修行をします。
最澄と比叡山延暦寺
788年に最澄は薬師如来を本尊とする
一乗止観院(いちじょうしかんいん)という草庵を創建。
一乗止観院は
現在の総本堂、根本中堂です。
これが比叡山延暦寺の始まりです。
最澄と桓武天皇
802年、最澄は桓武天皇から、
入唐の短期留学生に選ばれます。
そして804年に、
通訳として門弟の義真を連れて、
空海と同じく九州を発ちます。
最澄は唐の天台山に登って
行満から天台の教えを受けます。
禅法、大乗菩薩の戒法、密教などを
学んで、約一年後に帰国します。
最澄と天台宗
805年、帰国した最澄は
日本天台宗を開きます。
桓武天皇の要請もあり、最澄は
密教を伝えるために、高雄山神護寺で
日本初の公式な灌頂(かんじょう)を行いました。
密教についてですが、
広く大衆に向かって分かりやすく明瞭な言葉で
仏教の教えを説く顕教(けんぎょう)とは対照的に、
密教とは教団の中で神秘的な要素が多く、
非公開的な部分が多い、秘密の教えです。
また灌頂とは、頭に水をかけて悟りの位に
進んだことを証する儀式のことです。
水をかけることから転じて、
墓石の上から柄杓で水をかけることも「灌頂」といいます。
最澄と空海
翌年806年に、天台宗は
朝廷によって公認されます。
またこの頃から同じく入唐した
空海から真言、梵字(ぼんじ)、華厳の
書物を借り、研究をしています。
812年には高雄山寺に赴いて
空海から灌頂を受けるなど、最澄と空海は一時的に交流をしています。
最澄と大乗戒壇
819年、最澄は比叡山に
大乗戒壇建立を天皇に申し上げますが、
南都六宗の反対によって許されませんでした。
しかし最澄の弟子である光定と
藤原冬嗣らの斡旋によって、最澄の死後7日後に勅許を得ます。
最澄の最期
最澄は822年6月26日(弘仁13年6月4日)に
比叡山の中道院で亡くなります。享年56歳。
死後、最澄は清和天皇より
日本で初めて「伝教大師」の贈り名を賜ります。
以後、「伝教大師最澄」と称されます。
今から1000年以上も前の時代なので
最澄の死因は明らかになっていません。
- 最澄の誕生日:767年9月15日
- 最澄の命日:822年6月26日
※最澄の最期の年齢は56歳
最澄が死ぬ前にいた最後の場所は
比叡山の中道院だとされています。そして最澄の最期は、釈尊入涅槃の儀式に従って
頭北面西右脇臥で「円寂」したと伝わっています。※釈尊入涅槃の儀式:仏教のお釈迦さまの儀式
「最澄の死因は頭北面西右脇臥で円寂?どういう意味??」
- 頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)の意味:仏教の言葉で、お釈迦さまが死んだ時の姿を指す言葉。
※その姿にならって、人が死んだ時は死者を北枕にし、顔を西に向け、右脇を下にして寝かせる- 円寂(えんじゃく)の意味:悟りの境地。仏教の僧が死ぬことを指す。
最澄は「悟りの境地」に達したため死んでいない、
つまり「死因は無し」ともいえるかもしれません。