富国強兵(ふこくきょうへい)は
明治時代に明治政府が行った政策です。
中国の戦国時代に行われた政策ですが、
日本では明治維新期にスローガンとして掲げられています。
富国強兵とは何か?
どんな政策だったのか?などなど
富国強兵について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
富国強兵とは?
富国強兵とは
国を富ませ、兵力を大きくして
国の勢力を強める政策のことです。
日本では明治時代初期に
近代国家を築き上げるために
スローガン(標語)として使われました。
「富国」とは、殖産興業によって
資本主義経済を発展させて
国の財政を豊かにすること。
「強兵」とは、軍備を充実させて
欧米列強に負けない近代的軍事力の
創設と増強を指しています。
明治政府は欧米列強に国力や軍事力で
対等になれるように改革を進めていきます。
具体的には条約の改正や
国家の保全などを目指しました。
また、積極的に西洋の文明を
取り入れようとしていきます。
これが有名な文明開化ですね。
しかし富国強兵策は、
国民の生活を豊かにする結果とはなりませんでした。
富国強兵のために行ったこと
明治政府は
富国強兵を実現させるために
次のような施策を行います。
- 学制
- 兵制
- 税制
- 殖産興業
これらの政策について
以下で簡単に解説していきます。
学制【富国強兵の施策】
明治政府は教育の充実を目指し、
1872年に学制を公布します。
この学制によって
6歳以上の男女すべてが小学校で
教育を受けることが定められたのです。
江戸時代までの寺子屋とは異なり、
男女が一緒に同じ内容を学習しました。
兵制【富国強兵の施策】
明治政府は
欧米列強に負けない兵力を備える為に、
1873年に徴兵令(ちょうへいれい)を定めます。
この徴兵令は、満20歳以上の
男子に兵役を義務付けており、
西洋式の近代的な軍隊を作りました。
しかし徴兵令には多くの免除規定があり、
実際に兵役についたのは平民の
次男や三男ばかりで兵数は少なかったそうです。
兵士を出す家は働き手を失うことになり、
各地で徴兵令の反対一揆が起こりました。
税制【富国強兵の施策】
明治政府は、
財政収入の基礎を確立させるために
1873年に地租改正を出しました。
江戸時代までの年貢制度と異なり、
土地の所有者をはっきりと決めて
税金を治めさせる法律に変えたのです。
これによって
明治政府の収入は安定しましたが、
農民の負担は増えて、各地方で
地租改正に反対する農民一揆が起こったのです。
殖産興業【富国強兵の施策】
殖産興業は、
近代的産業を育てることや
農業の近代化などが主な目的でした。
そのため官営模範工場の建設や
交通、通信の整備などを行います。
官営の工場として有名なのは
世界遺産にも登録された
群馬県にある富岡製糸場があります。
他にも、貨幣や銀行などの
金融制度の整備なども進められたのです。
最後に
富国強兵とは何か?
どのような政策だったか?などなど
富国強兵について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。