殖産興業(しょくさんこうぎょう)は
明治時代に明治政府が行った政策です。
明治政府が西洋諸国に対抗して
資本主義経済による様々な政策を行いました。
殖産興業とは何か?
どのような政策だったのか?などなど
殖産興業について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
殖産興業とは何か?
殖産興業(しょくさんこうぎょう)とは
生産を増やし、産業を盛んにすることで
明治時代初期の産業政策のスローガン(標語)です。
富国強兵(ふこくきょうへい)と並び、
当時の重要政策でありました。
明治政府が欧米の
先進資本主義国と対抗するために
展開した産業保護育成政策です。
官営工場の経営や技術の導入などによって
近代工業を盛んにしていったのです。
これによって日本はどんどん近代化し、
様々な分野が発展していきます。
殖産興業の目的
日本は明治維新によって
江戸時代から明治時代へと変化します。
開国がなされた日本では、
欧米諸国との国力、産業の差を感じていました。
欧米諸国による
アジアの植民地化が進んでいた当時、
明治政府の大久保利通は
日本が植民地にされる心配をします。
明治政府の課題として「殖産興業」を掲げて
日本での産業を盛んにし、欧米諸国に
負けない近代的な国家を目指したのです。
殖産興業の内容
ここでは
殖産興業の内容を
紹介していきます。
- 官営事業の創設
- 模範工場の建設
これらについて
以下で解説していきます。
官営事業の創設
明治初期には
以下のような官営事業を創設します。
- 鉄道
- 電信
- 鉱山
- 造船
明治政府は
江戸時代末期に建てられた造船所を
横須賀海軍工廠(こうしょう)として改良。
他にも江戸幕府や諸藩が運営していた
鉱山や大砲の製作所を引き継ぎ、
西洋技術を取り入れながら経営を行います。
他にも明治政府は、
工場で造られた商品を各地へ効率よく
運ぶために鉄道の開業にも力を入れます。
最初に東京~横浜間を開業し、
民間の力を取り入れつつ鉄道網を増やしていきました。
模範工場の建設
明治政府は
模範工場の建設も行います。
- 紡績
- 製糸
模範工場で有名なのは
群馬県にある富岡製糸場ですね。
当時の最新であった機器を導入し、
一時は日本の生糸輸出量は世界一にまでなりました。
殖産興業による影響
明治政府は
ある程度日本の産業が発展すると
どんどん払い下げをしていきます。
払い下げとは、民間に売り払うことです。
官営工場の多くは官業払下げにより
民間ブルジョワジー(政商)の手に渡って
巨大資本の蓄積を促進しました。
政商とは、明治時代前半期に
政府の手厚い保護、育成を受けて
大きな権利を受けた以下のような資本家のこと。
- 浅野
- 岩崎
- 三井
- 古河
様々な分野で力を持ち始めた資本家たちは
次第に日本の産業全体を支える財閥に発展します。
最後に
この記事では
殖産興業とは何か?
どのような政策だったのか?などなど
殖産興業について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。