後醍醐天皇ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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後醍醐天皇のすべて

 

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
鎌倉時代から室町時代初期までを生きた
日本の第96代天皇です。

誕生時期:1288年11月26日
死亡時期:1339年9月

 

 

鎌倉幕府を倒して建武の新政を実行し
のちに南朝政権を樹立しました。

 

この記事では
後醍醐天皇とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
後醍醐天皇について
なるべくわかりやすく簡単な言葉でを解説していきます。

 

 

後醍醐天皇とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】

室町人物伝 後醍醐天皇 (コミック版 日本の歴史)

後醍醐天皇の誕生日

後醍醐天皇は
1288年11月26日(天応元年11月2日)
大覚寺統であった後宇多(ごうだ)天皇第2皇子として誕生します。

 

後醍醐天皇即位

1318年に花園天皇の譲位を受けて
31歳という若さで天皇即位します。

1321年以降に、後醍醐天皇は
自ら政治を行う親政を始めます。

 

後宇多天皇の遺言に基づき、もともと
後醍醐天皇は兄の後二条天皇の息子である
邦良(くによし)親王が成人するまでの中継ぎでした。

自分の子孫に天皇の位を譲ることが
できないことを不満に感じていた後醍醐天皇は
後宇多天皇の皇位継承計画を承認していた鎌倉幕府に反感を持つようになったのです。

 

 

後醍醐天皇の倒幕計画

1324年、後醍醐天皇による
鎌倉幕府の打倒計画が発覚したことで
後醍醐天皇と共に計画していた
側近(日野資朝)らが処刑されるという
正中の変」が起きました。

幸い後醍醐天皇は
幕府から罰を受けずに済んだのですが
1331年の討幕計画も幕府にバレてしまいます。

後醍醐天皇は「三種の神器」を
持ち出して笠置山に入って挙兵しますが再び敗れてしまいます(元弘の乱)。

 

 

後醍醐天皇による鎌倉幕滅亡

討幕に2度失敗した後醍醐天皇は
鎌倉幕府に捕らえられて
隠岐(現・島根県)に流されます。

この時期に、護良親王や楠木正成らが
各地で反幕勢力を強めていきます。

 

1333年、後醍醐天皇は隠岐を脱出、
その時には鎌倉幕府に不満を持っていた
足利尊氏や新田義貞らも味方します。

これにより鎌倉幕府は滅亡となりました。

 

後醍醐天皇による建武の新政

建武政権――後醍醐天皇の時代 (講談社学術文庫)

後醍醐天皇は帰京後、
念願であった建武の新政を始めます。

 

これは天皇中心の政治で
武士は不遇な扱いを受けるものでした。

武士だけはなく、公家達からも批判され、後醍醐天皇は権威を失います。

 

後醍醐天皇と足利尊氏の離反

1335年、それまで後醍醐天皇に
従っていた足利尊氏が延元の乱を起こします。

 

後醍醐天皇は新田義貞や楠木正成らに
足利尊氏討伐を命じて足利軍を破ります。

しかし再び足利尊氏に京都で攻め込まれ
今度は後醍醐天皇軍が敗れ、比叡山に逃れます。

後醍醐天皇は足利尊氏に降伏して
三種の神器を渡します。

 

その後、後醍醐天皇は幽閉されていた花山院を
脱出して、吉野(現・奈良県)に逃れます。

そして、足利尊氏に渡した
三種の神器は偽物であるとして、逃げた吉野で
南朝」と呼ばれる朝廷を開くのです。

一方足利尊氏は京で「北朝」を開きます。

この2つのが合一し、南北朝時代と呼ばれるようになったのです。

 

後醍醐天皇の最期

後醍醐天皇は
1339年(延元4年/暦応2年8月15日)9月
後醍醐天皇は亡くなります。享年52歳。

南朝時代を開いてから、わずか3年ほどのことでした。

 

最後に

別冊歴史読本 1990年10月号 後醍醐天皇 ばさらの帝王

この記事では
後醍醐天皇とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
後醍醐天皇について
なるべくわかりやすく簡単な言葉でを解説しました。

少しでも役に立てば幸いです。

 

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