鎌倉時代 (1185年から1333年まで) とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】
最新の研究結果により
鎌倉時代の始まりは1192年ではなく
1185年からということがわかりました。
※現在の教科書も変更されています。
1185年-1333年
鎌倉時代とはどんな時代だったのか?
鎌倉時代の歴史について
概要をわかりやすく簡単に解説して
最初から最後までを年表にまとめました。
目次
- 1 鎌倉時代とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】
- 2 鎌倉時代の最初から最後まで (1185年から1333年まで) 【年表まとめ】
- 2.1 1185年【鎌倉時代】
- 2.2 1189年【鎌倉時代】
- 2.3 1192年【鎌倉時代】
- 2.4 1199年【鎌倉時代】
- 2.5 1203年【鎌倉時代】
- 2.6 1205年【鎌倉時代】
- 2.7 1215年【鎌倉時代】
- 2.8 1219年【鎌倉時代】
- 2.9 1221年【鎌倉時代】
- 2.10 1224年【鎌倉時代】
- 2.11 1225年【鎌倉時代】
- 2.12 1232年【鎌倉時代】
- 2.13 1246年【鎌倉時代】
- 2.14 1247年【鎌倉時代】
- 2.15 1251年【鎌倉時代】
- 2.16 1253年【鎌倉時代】
- 2.17 1263年【鎌倉時代】
- 2.18 1268年【鎌倉時代】
- 2.19 1274年【鎌倉時代】
- 2.20 1275年【鎌倉時代】
- 2.21 1277年【鎌倉時代】
- 2.22 1281年【鎌倉時代】
- 2.23 1284年【鎌倉時代】
- 2.24 1293年【鎌倉時代】
- 2.25 1294年【鎌倉時代】
- 2.26 1297年【鎌倉時代】
- 2.27 1305年【鎌倉時代】
- 2.28 1318年【鎌倉時代】
- 2.29 1321年【鎌倉時代】
- 2.30 1324年【鎌倉時代】
- 2.31 1331年【鎌倉時代】
- 2.32 1332年【鎌倉時代】
- 2.33 1333年
- 2.34 1334年
- 2.35 1336年
- 2.36 1338年
- 3 最後に
鎌倉時代とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】
- 鎌倉時代の期間(範囲)について
- 鎌倉幕府の誕生
- 北条氏が権力を高める
- 承久の乱
- 武士たちが力をつける【武士道の誕生】
- 蒙古襲来
- 鎌倉幕府の衰退
鎌倉時代の期間(範囲)について
1185年-1333年
鎌倉時代の期間は基本的に
源頼朝が征夷大将軍となった年(1185年)から
鎌倉幕府が滅んだ年(1333年)までの約148年間です。
鎌倉時代の始まりは1192年ではなく
1185年からということがわかりました。
※現在の教科書も変更されています。
鎌倉幕府の誕生
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し
源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府が誕生。
源頼朝が死亡した後は
その子供たち(源頼家と源実朝)が中心に。
その後は、北条時政などの
北条氏が権力を握ることになる。
承久の乱
朝廷側(後鳥羽上皇)は鎌倉幕府と対立。
なんとかして朝廷の勢力を強めようと
後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対抗心を燃やす。
実は鎌倉幕府の源実朝は
朝廷と連携をはかっていたが
暗殺されてしまう。
これにより幕府と朝廷の関係は悪化。
その流れで承久の乱が開始される。
※北条政子の歴史的な演説も影響し
鎌倉幕府は圧倒的な勝利を収める。
この戦いをきっかけに
鎌倉幕府の権力がさらに強くなり
朝廷の立場はさらに弱くなった。
武士たちが力をつける【武士道の誕生】
鎌倉時代の武士の生活は貧しかった。
自分や家族を守るために
武士たちはみな、
修行にはげみ武芸を身に着けた。
このころの武士の考え方が
のちの武士道の起源となる。
蒙古襲来【日本の絶体絶命のピンチ】
鎌倉時代といえば
蒙古襲来が歴史的にとても有名。
蒙古襲来とは、元(中国)が日本を征服しようとして攻めてきた出来事。
北条時宗は日本を守るため、必死に外交を行う。
元からの朝貢を拒否したりと
相手からの圧力に負けずに
日本は誇りを守ろうする。
そして元(中国)の約3万の兵が、日本に襲来。
元寇(げんこう)といわれるこの襲来は
2度にわたり行われ多くの被害がでた。
しかし、天候などにも恵まれたり、
日本の武士たちの必死の抵抗により
日本が侵略されるという危機を免れた。
鎌倉幕府の衰退
蒙古襲来が幕府衰退のきっかけとなる。
その流れで「悪党」と呼ばれる武士が増える。
※悪党:武力に訴えて年貢の支払いを拒否したり
荘園の領主に抵抗したりする武士のこと
鎌倉幕府に対して不満が高まる中
足利尊氏と後醍醐天皇が手を組み
鎌倉幕府を滅ぼすことに成功。
そして時代は、室町時代へ。
鎌倉時代の最初から最後まで (1185年から1333年まで) 【年表まとめ】
1185年【鎌倉時代】
壇ノ浦の戦い
※源氏と平家の戦い。平家が滅亡
1189年【鎌倉時代】
源義経死去。
※衣川館で妻子を殺めた後に自害した可能性が高い
1192年【鎌倉時代】
源頼朝が征夷大将軍に就任
後白河法皇死去。享年66歳。
1199年【鎌倉時代】
1203年【鎌倉時代】
北条時政が執権に就任
1205年【鎌倉時代】
北条義時が執権に就任
1215年【鎌倉時代】
北条時政死去。享年78歳。
※北条時政の死因は病気の可能性が高い
1219年【鎌倉時代】
源実朝死去
1221年【鎌倉時代】
承久の乱
後鳥羽上皇が隠岐に配流
1224年【鎌倉時代】
親鸞聖人が浄土真宗を開く
北条泰時が執権に就任
1225年【鎌倉時代】
北条政子死去。享年69歳。
※北条政子のお墓は2つ作られる。
- 寿福寺
- 安養院
1232年【鎌倉時代】
御成敗式目(貞永式目)制定
1246年【鎌倉時代】
北条時頼が執権に就任
1247年【鎌倉時代】
女侍「巴御前」死去。
1251年【鎌倉時代】
北条時宗の誕生日
1253年【鎌倉時代】
日蓮により日蓮宗が誕生
1263年【鎌倉時代】
親鸞聖人死去。享年89歳。
1268年【鎌倉時代】
北条時宗が執権に就任
1274年【鎌倉時代】
元寇、モンゴル帝国の襲来
文永の役
※元軍が博多に上陸
一遍により時宗(じしゅう)が誕生
1275年【鎌倉時代】
夢窓疎石の誕生日
1277年【鎌倉時代】
赤松則村(円心)の誕生日
1281年【鎌倉時代】
弘安の役
※元軍、二度目の来航
1284年【鎌倉時代】
北条時宗死去。享年34歳。
※北条時宗の死因は病気(結核もしくは心臓病)
1293年【鎌倉時代】
鎮西探題を設置
北畠親房の誕生日
1294年【鎌倉時代】
楠木正成の誕生日
1297年【鎌倉時代】
永仁の徳政令
1305年【鎌倉時代】
足利尊氏の誕生日
1318年【鎌倉時代】
後醍醐天皇が即位
1321年【鎌倉時代】
後醍醐天皇が親政を開始
1324年【鎌倉時代】
正中の変(しょうちゅうのへん)
※後醍醐天皇の倒幕計画が露見する
1331年【鎌倉時代】
元弘の変(げんこうのへん)
※後醍醐天皇が再び倒幕を計画する
楠木正成が挙兵
1332年【鎌倉時代】
後醍醐天皇が隠岐に配流
1333年
後醍醐天皇が隠岐を脱出
足利尊氏が六波羅探題を攻略
新田義貞が鎌倉を攻略
鎌倉幕府が滅亡
記録所が復活
1334年
建武の新政開始
1336年
1338年
足利尊氏が征夷大将軍に就任
最後に
この記事では
鎌倉時代の歴史について
概要をわかりやすく簡単に解説して
最初から最後までを年表まとめました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。