犬養毅ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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老人の後ろ姿
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恕の人 犬養毅

犬養毅(いぬかいつよし)
幕末期(江戸時代末期)に誕生し
昭和時代まで生きた政治家です。

誕生時期:1855年6月4日
死亡時期:1932年5月15日

 

犬養毅は
日本の第29代内閣総理大臣です。

暗殺の直前、「話せばわかる」と
相手に語りかけたことで有名です。

 

犬養毅とは何をした人か?
どんな人だったのか?などなど
犬養毅について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

犬養毅って何した人?

犬養毅 その魅力と実像

犬養毅の誕生日

犬養毅は
1855年6月4日(安政2年4月20日)
備中国(現在の岡山県)で岡山藩士である
犬飼源左衛門の次男として生まれます。

のちに「犬養」と改姓しています。

 

もともと犬飼家は、
名字帯刀を許されるエリート郷士でしたが
犬養毅が2歳のときに父がコレラで
急死し、生活は苦しかったそうです。

 

犬養毅と慶應義塾

21歳、犬養毅は
親戚や知人からの資金援助を受けて
上京し、慶応義塾で学びます。

犬養毅は成績優秀であり
福沢諭吉も認めていたそうです。

 

犬養毅と郵便報知新聞記者

1877年、犬養毅は
郵便報知新聞の記者となります。

同年、西郷隆盛率いる西南戦争が起こり、
犬養毅は政府軍の記者として従軍します。

現地からの戦争の様子を詳しく伝えた
「戦争直報」が評判となります。

 

犬養毅と大同団結運動

1880年、慶應義塾を中退した犬養毅は
東海経済新報の記者をへて、統計院の役人に。

しかし大隈重信が政界を追われると
犬養毅も一緒に役人を辞めました。

 

1882年、立憲改進党の結成に参加して
自由民権運動である大同団結運動で活躍します。

犬養毅は藩閥政府を強く批判します。

 

犬養毅の連続当選

1890(明治23)年第1回総選挙で
犬養毅は衆議院議員に当選します。

そして以後第18回総選挙まで
落選することがなく連続当選します。

犬養毅の42年間の議員生活がはじまります。

 

犬養毅と護憲運動

その後犬養毅は
第1次大隈重信内閣で文部大臣、
第2次山本権兵衛内閣の文部大臣
兼逓信大臣をつとめます。

また1912年の護憲運動では
先頭に立ち大正デモクラシーを盛り上げ
桂太郎内閣を倒します。

 

犬養毅と革新倶楽部

1922(大正11)年、革新倶楽部を組織。

1924年に加藤高明らと
護憲三派内閣を結成、逓信大臣を務めます。

普通選挙法を確立させたところで
犬養毅は政界を去りました。

しかし、世間の熱烈な支援者たちが
引き続き選挙で犬養毅を当選させ続けたのです。

 

内閣総理大臣、犬養毅

1929(昭和4)年立憲政友会の総裁となり、
政治の世界に戻ってきます。

当時、アメリカの株価暴落をきっかけに
世界恐慌と満州事変が起こります。

このことで第2次若槻内閣は総辞職。

 

1931(昭和6)年12月、犬養毅が
第29代内閣総理大臣となります。

このときすでに76歳。

 

犬養毅と五・一五事件

1932(昭和7)年5月15日
海軍青年将校が中心となって
首相官邸や日本銀行、警視庁などを
襲う五・一五事件が起こります。

首相官邸を襲った海軍兵士が
犬養毅に銃を向けた際に、犬養毅は
「話せばわかる」と言って犬養毅自らが
海軍兵士を応接室に案内したそうです。

しかし海軍兵士は「問答無用」と答えて
犬養毅を射殺しました。

犬養毅、享年78歳。

 

最後に

昭和の宰相 (第1巻) 犬養毅と青年将校 (講談社文庫)

犬養毅とは何をした人か?
どんな人だったのか?などなど
犬養毅について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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