松平定信ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

近世日本国民史 松平定信時代 (講談社学術文庫)

 

松平定信(まつだいらさだのぶ)
江戸時代を生きた大名、老中です。

誕生時期:1759年1月25日
死亡時期:1829年6月14日

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1787年から1793年の間にかけて
寛政の改革を行った人物として有名です。

松平定信とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
松平定信について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

目次

松平定信とは?どんな人?

松平定信―政治改革に挑んだ老中 (中公新書)

松平定信の誕生日

松平定信(まつだいら さだのぶ)は
1759年1月25日(宝暦8年12月27日)
御三卿の田安徳川家の初代当主である
徳川宗武(とくがわむねたけ)の七男として生まれます。

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御三卿(ごさんきょう)とは、
徳川氏の一族から分立した大名家で、
徳川将軍家に跡継ぎがいない場合に
後継者を提供する役割を担いました。

第8代将軍徳川吉宗がこの御三卿を
創始し、自身の息子である徳川宗武を
田安徳川家とします。

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松平定信は、徳川吉宗の孫
あたるということです。

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松平定信と白河藩主

1774年に松平定信は現在福島県の
白河藩主の松平定邦の養子となり、
1783年には松平家の家督を相続します。

当時の幕府は、赤字が膨らんでいた上に
全国で自然災害や飢饉が発生します。

それに伴い、各地で打ちこわしや一揆が
起こるなど不安定な日々が続きます。

 

しかし、松平定信は白河藩主として
その生真面目な性格を活かし、
災害の被害を最小限に抑えます。

あらかじめ米や雑穀などを買い込み、
自ら率先して質素倹約を行うなどして
飢饉が起きてからは、たくわえていた
食料を町民に与えて、この危機を乗り越えたのです。

 

老中松平定信

1786年、老中であった
田沼意次(たぬまおきつぐ)が失脚します。

 

そして松平定信の藩主としての名君ぶりが
幕府でも評価され、老中に就任します。

 

田沼意次の政治とは対照的に、
松平定信は祖父である徳川吉宗が行った
享保の改革を理想とした「寛政の改革」を行います。

 

松平定信による寛政の改革

松平定信が行った寛政の改革での
主な内容は次のものです。

  • 緊縮財政
  • 風紀取り締まり
  • 蘭学禁止

 

松平定信は「囲い米」という
飢饉に備えるため、全国の大名に
穀物を備蓄する蔵を築かせます。

 

また、災害などに備えて
お金の積み立てを命じます。

現代でいう保険のようなもので
これは明治時代まで続いた政策です。

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このように良い政策も行ったのですが、
それに対して町民たちの娯楽を規制したり
蘭学など異国の学問を禁止するなどの政策が
庶民だけでなく幕府の人々の反感を買うことに。

 

その厳しすぎる政策を行った末、
1793年に松平定信は失脚します。

 

晩年の松平定信

失脚後の松平定信は、
白河の藩政に専念します。

実収入がなく経済的に苦しい
藩であったにも関わらず、松平定信は
馬産を奨励するなどの政策をして
藩の財政を潤わせます。

 

1812年に、長男の松平定永に家督を譲り、隠居します。

 

松平定信の最期

松平定信は
1829年6月14日(文政12年5月13日)
亡くなります。享年72歳。

 

最後に

隠密奉行 柘植長門守 松平定信の懐刀 (二見時代小説文庫)

 

松平定信とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
松平定信について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

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