本居宣長ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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本居宣長「うひ山ぶみ」 (講談社学術文庫)

 

本居宣長(もとおりのりなが)とは
江戸時代を生きた国学者です。
※文献学者や医師でもあります。

誕生時期:1730年6月21日
死亡時期:1801年11月5日

 

国学の四大人(しうし)の一人で医学を修める
一方、源氏物語の研究などを行いました。

 

本居宣長とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
本居宣長について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

本居宣長ってどんな人?

本居宣長 (中公新書)

  • 本居宣長の誕生日
  • 本居宣長と医学
  • 本居宣長と国学の研究
  • 本居宣長と賀茂真淵
  • 本居宣長と487人の門人
  • 本居宣長と古事記伝
  • 本居宣長の最期

本居宣長の誕生日

本居宣長は
1730年6月21日(享保15年5月7日)
伊勢国(現在の三重県松阪市)で木綿商である
小津家の次男として生まれます。

 

本居宣長は8歳に寺子屋で学び、
幼少から習字や漢籍を学んでいました。

 

本居宣長と医学

22歳のときに義兄が亡くなった為、
本居宣長が小津家の家督を相続します。

 

しかし、商売より学問をしたかった
本居宣長は母に相談した上で、
店をたたんで京都へ遊学します。

この頃、先祖の姓である”本居”を名乗り
和歌をたくさん詠み始めたそうです。

また儒学、医学、関学、国学など
様々な分野を勉強し、本居宣長は
医者になることを志します。

 

本居宣長と国学の研究

1758年、本居宣長は京都に出て医師
開業すると同時に、
日本古典の研究に励みます。

源氏物語」や「日本書紀」です。

 

27歳のときに「古事記」と
先代旧事本記」を書店で購入。

 

そして本居宣長と同じく
国学の四大人の一人と称された
賀茂真淵(かものまぶち)の書に出会い、
本居宣長は国学の研究に入ります。

 

本居宣長と賀茂真淵

本居宣長は、賀茂真淵と
しばらくは文通をしていました。

そして1763年、伊勢神宮参拝のために
伊勢に訪れた賀茂真淵と初めて会って
賀茂真淵に弟子入りします。

 

賀茂真淵からは万葉仮名に慣れる為に
万葉集」の注釈から始めるよう勧められます。

 

本居宣長と487人の門人

それ以後も賀茂真淵に触発されて
本居宣長は本格的に
「古事記」の研究を進めます。

門人(弟子)も増え続け、最終的に
本居宣長の弟子は487人となります。

 

医師の傍ら、古典の研究だけでなく
弟子への講義もしていたということです。

 

本居宣長と古事記伝

そして35年の年月をかけて
古事記を解読した書物である
『古事記伝』44巻を完成させます。

この時、本居宣長は69歳となっていまいた。

 

もう一つ、本居宣長の著書では
「源氏物語」を解説した
『源氏物語玉の小櫛(げんじものがたりたまのおぐし)が有名です。

 

他にも本居宣長には
次の著書があります。

  • 初山踏(ういやまぶみ)
  • 石上私淑言(いそのかみささめごと)
  • 詞の玉緒
  • 古今集遠鏡(とおかがみ)
  • 鈴屋集
  • 玉くしげ
  • 秘本玉くしげ
  • 万葉集玉乃小琴(たまのおごと)
  • 玉あられ
  • 古語拾遺疑斎辨(こごしゅういぎさいべん)
  • おもひ草
  • 鈴屋答問録

 

本居宣長はこれら以外にも
多くの著書を残します。

随筆の『玉勝間(たまがつま)には
賀茂真淵との出会いなども記しています。

 

本居宣長の最期

本居宣長は
1801年11月5日(享和元年9月29日)
亡くなります。享年71歳。

本居宣長は遺言で、
自分のお墓のデザインを残したそうで、
近年のお墓のデザインの先駆けともいえます。

 

最後に

日本人のこころの言葉 本居宣長

 

本居宣長とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
本居宣長について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

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