最澄ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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最澄の像
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日本人のこころの言葉 最澄

 

最澄(さいちょう)とは
奈良時代から平安時代前期までを生きたです。

誕生時期:767年9月15日
終了時期:822年6月26日

 

日本天台宗の開祖です。

 

最澄とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
最澄について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

最澄とは?どんな人?【生涯をざっくりわかりやすく解説】

歴史絵本 伝教大師最澄―一隅を照す是れ国宝

  • 最澄の誕生日
  • 最澄の出家
  • 最澄と比叡山延暦寺
  • 最澄と桓武天皇
  • 最澄と天台宗
  • 最澄と空海
  • 最澄と大乗戒壇
  • 最澄の最期

最澄の誕生日

最澄は
767年9月15日(神護景雲元年8月18日)
近江国(現在の滋賀県大津市)の豪族である
三津首百枝(みつのおびとももえ)の子として誕生します。
※766年誕生の説もあります。

幼名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

 

最澄の出家

両親の深い仏教への信仰の影響もあり
三津首広野は12歳で近江国分寺の僧の
行表(ぎょうひょう)に弟子入り(出家)します。

780年、14歳になると国分寺僧の補欠として
僧になり、法名を「最澄」とします。

 

785年、東大寺で
仏教僧の規則となる戒律を受け、7月に
比叡山にこもって山間修行をします。

 

最澄と比叡山延暦寺

伝教大師最澄の寺を歩く―比叡山延暦寺を中心に、最澄ゆかりの地へ (楽学ブックス―古寺巡礼―古寺巡礼)

788年に最澄は薬師如来を本尊とする
一乗止観院(いちじょうしかんいん)という草庵を創建。

一乗止観院は
現在の総本堂、根本中堂です。

 

これが比叡山延暦寺の始まりです。

 

最澄と桓武天皇

学習漫画 人物日本の歴史―集英社版〈3〉桓武天皇.菅原道真.最澄・空海―平安時代1

802年、最澄は桓武天皇から、
入唐の短期留学生に選ばれます。

 

そして804年に、
通訳として門弟の義真を連れて、
空海と同じく九州を発ちます。

 

最澄は唐の天台山に登って
行満から天台の教えを受けます。

禅法、大乗菩薩の戒法、密教などを
学んで、約一年後に帰国します。

 

最澄と天台宗

あなたの知らない最澄と天台宗 (歴史新書)

805年、帰国した最澄は
日本天台宗を開きます。

 

桓武天皇の要請もあり、最澄は
密教を伝えるために、高雄山神護寺で
日本初の公式な灌頂(かんじょう)を行いました。

 

密教についてですが、
広く大衆に向かって分かりやすく明瞭な言葉で
仏教の教えを説く顕教(けんぎょう)とは対照的に、
密教とは教団の中で神秘的な要素が多く、
非公開的な部分が多い、秘密の教えです。

 

また灌頂とは、頭に水をかけて悟りの位に
進んだことを証する儀式のことです。

水をかけることから転じて、
墓石の上から柄杓で水をかけることも「灌頂」といいます。

 

最澄と空海

最澄と空海 日本仏教思想の誕生 (角川ソフィア文庫)

翌年806年に、天台宗は
朝廷によって公認されます。

 

またこの頃から同じく入唐した
空海から真言、梵字(ぼんじ)、華厳の
書物を借り、研究をしています。

812年には高雄山寺に赴いて
空海から灌頂を受けるなど、最澄と空海は一時的に交流をしています。

 

最澄と大乗戒壇

819年、最澄は比叡山に
大乗戒壇建立を天皇に申し上げますが、
南都六宗の反対によって許されませんでした。

しかし最澄の弟子である光定
藤原冬嗣らの斡旋によって、最澄の死後7日後に勅許を得ます。

 

最澄の最期

最澄は822年6月26日(弘仁13年6月4日)
比叡山の中道院で亡くなります。享年56歳。

死後、最澄は清和天皇より
日本で初めて「伝教大師」の贈り名を賜ります。

以後、「伝教大師最澄」と称されます。

 

最後に

最澄と空海 日本仏教思想の誕生 (角川ソフィア文庫)

 

最澄とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
最澄について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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