渋川春海ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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江戸の天文学 渋川春海と江戸時代の科学者たち

 

渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい)
江戸時代を生きた天文暦学者です。
※囲碁棋士、神道家などでも有名です。

誕生時期:1639年12月27日
死亡時期:1715年11月1日

 

渋川春海は
平安時代以来の宣明暦(せんみょうれき)
貞享暦(じょうきょうれき)に改めました。

 

渋川春海とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
渋川春海について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

渋川春海ってどんな人?

図説 江戸の暮らしを支えた先人の知恵! 日本の暦と和算 (青春新書INTELLIGENCE)

渋川春海の誕生日

渋川春海は
1639年12月27日(寛永16年閏11月3日)
江戸幕府の碁所四家の一つである
安井家一世の安井算哲長男として誕生します。

碁所(ごどころ)とは、全国の囲碁棋士の
統轄などを行う幕府の役職です。

渋川春海生まれの安井家は、
由緒ある囲碁の名家だったのです。

 

1652年に父が亡くなりますが
渋川春海はまだ13歳だった為、
安井家は養子の安井算知が継ぎます。

この頃渋川春海は”保井”姓を名乗ります。

 

渋川春海と囲碁

渋川春海は、幼くして
神童と呼ばれる才能を発揮します。

家職である囲碁は七段上手に達します。

 

また、学問においても
多くの師から様々な分野を学びます。

  • 数学(和算)、暦法…池田昌意(まさおき)
  • 天文暦学…岡野井玄貞、松田順承
  • 儒学、神道…山崎闇斎
  • 安倍神道…土御門泰福

渋川春海は、中国暦法の中で
最も優れているとされる「授時暦」を学びます。

 

渋川春海と授時暦

当時の日本では、中国(唐)より
もたらされた宣明暦を用いていた為、
かなりの誤差が生じていました。

 

そこで渋川春海は、中国の「授時暦」を
用いて日本各地の経度や緯度を計測し、
その結果をもとにして新しい暦法を申請します。

 

一度は日食予報を失敗したことから
申請は却下されてしまいます。

 

渋川春海と貞享暦

しかし渋川春海は諦めずに
朱子学者の中村てき斎の協力を得ながら
中国の授時暦を日本向けに改良します。

朝廷では渋川春海の暦法は
根拠のないものと非難する者もいて、
なかなか採用されませんでした。

 

それでも渋川春海は暦道の最高責任者である
土御門泰福を説得して、ようやく採用されたのです。

 

これが、日本初の国産暦となった
貞享暦(じょうきょうれき)です。

 

渋川春海と幕府の高官

渋川春海はその有能さから、
会津藩主の保科正之や水戸藩主の
水戸光圀らの幕府高官に招かれます。

特に保科正之は三代将軍徳川家光の弟で、
四代徳川家綱の後見として「儒学」を
盛んに進めていた為、渋川春海の師である
山崎闇斎との交流などもあったそうです。

そういった幕府の高官たちの支持もあり、
渋川春海は新しい暦を作ることに成功するのです。

 

晩年の渋川春海

貞享暦作成という功から、渋川春海は
1685年に初代幕府天文方に任ぜられます。

以降、天文方は世襲となります。

 

碁方は辞任し、250石も賜ります。

そして1702年から先祖の姓である”渋川”を名乗ります。

 

渋川春海の最期

渋川春海は
1715年11月1日(正徳5年10月6日)
亡くなります。享年75歳。

1907年に改暦の功績で従四位が贈られ、
2012年に第9回囲碁殿堂入りとなりました。

 

最後に

江戸の天文学者 星空を翔ける ~‐幕府天文方、渋川春海から伊能忠敬まで‐ (知りたい!サイエンス)

 

渋川春海とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
渋川春海について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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