昭和天皇の死因とは?どんな最後だった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】
結論からいいますと
昭和天皇の死因は癌(がん)による病死です。
※病名:十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)
- 昭和天皇の誕生日:1901年4月29日
- 昭和天皇の命日:1989年1月7日
※昭和天皇の最期(最後)の年齢は87歳
■昭和天皇の死因となった病気「十二指腸乳頭部腫瘍」の症状
↓
十二指腸乳頭部腫瘍はほとんどが無症状のまま経過することが多く、健診の胃カメラなどで偶然発見される場合がほとんどです。腫瘍が大きくなり、特にがん化すると胆管や膵管を閉塞することがあり、黄疸や発熱、腹痛などといった症状がみられます。また、腫瘍が崩れて潰瘍ができたときには消化管出血や貧血を来すことがあります。
目次
昭和天皇はどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】
昭和天皇(しょうわてんのう)は
明治時代から昭和時代まで生きた
日本の第124代天皇です。
天皇在位期間は62年間で、歴代最長。
- 昭和天皇の誕生日:1901年4月29日
- 昭和天皇の命日:1989年1月7日
※昭和天皇の最期(最後)の年齢は87歳
昭和天皇は何をした人か?
どんな人だったのか?などなど
昭和天皇の生涯について
以下でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
昭和天皇の死因考察にもお役立てください💡
柴犬
昭和天皇の誕生日
昭和天皇は1901(明治34)年の4月29日に、大正天皇の第1皇男子として東京都青山の東宮御所で誕生します。
幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、
名前は裕仁(ひろひと)と称されます。
昭和天皇の皇太子時代
1912(明治45年)7月30日に明治天皇が亡くなり、昭和天皇は皇太子となります。
そして1921(大正10)年3月から6か月間、ヨーロッパ諸国を訪問します。
帰国後、11月25日からは大正天皇の病気を理由に、昭和天皇は20歳で摂政に就任し、摂政宮と称します。
昭和天皇暗殺未遂事件(虎ノ門事件)
1923年12月27日、虎の門付近で
テロリストに狙撃されますが、
昭和天皇は一命を取り留めます。
この昭和天皇暗殺未遂事件は
虎ノ門事件と呼ばれています。
昭和天皇の即位
1926(大正15)年12月25日に
大正天皇が亡くなったため、
1928年11月に昭和天皇が即位します。
元号を「昭和」と改めました。
即位後の1931年に満州事変、1936年二・二六事件、1937年7月に日中戦争などを経験します。
1941年12月の太平洋戦争の開戦に際し「宣戦の詔書」を発しています。
戦後の昭和天皇
第2次世界大戦後、日本国憲法の施行により
天皇は日本国と日本国民統合の象徴と定められました。
そのため昭和天皇は、日本国憲法に定める国事行為を内閣の助言と承認に基づいて行われることとなります。
また宮殿で行われる信任状捧呈式や
認証官任命式、会見、引見、拝謁などに
出席し、春の植樹祭、秋の国民体育大会や
全国を巡って国民を励ますなどの業務を遂行しました。
日本国内だけでなく、国際親善のために
1971(昭和46)年以降にヨーロッパ諸国や
アメリカなどを皇后陛下と一緒に訪問します。
昭和天皇の最期
昭和天皇は昭和62年9月に腸の通過生涯を患い、宮内庁病院で入院。
手術後は快方に向かっていましたが、1年後に再び体調が悪化します。
昭和天皇は1989年(昭和64)年1月7日、
十二指腸乳頭周囲腫瘍が原因で亡くなります。享年87歳。
昭和天皇の死因は癌(がん)による病死です。
※病名:十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)
- 昭和天皇の誕生日:1901年4月29日
- 昭和天皇の命日:1989年1月7日
※昭和天皇の最期(最後)の年齢は87歳