推古天皇とは?聖徳太子との関係性は?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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斑鳩(いかるが)の女帝―推古天皇私伝

 

推古天皇(すいこてんのう)
飛鳥時代に活躍した日本の第33代天皇です。

誕生時期:554年
死亡時期:628年4月15日

 

歴代天皇の中で最初の
女帝(女性天皇)であったと伝わります。

 

この記事では
推古天皇とはどんな人だったのか
聖徳太子との関係性についても
わかりやすく簡単な言葉で解説していきます。

 

 

 

推古天皇とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】

推古天皇―斑鳩に桃李咲く

  • 推古天皇の誕生日
  • 推古天皇は絶世の美女だった!?
  • 推古天皇と敏達天皇
  • 推古天皇即位の背景
  • 推古天皇と摂政の聖徳太子
  • 推古天皇の最期

推古天皇の誕生日

推古天皇(すいこてんのう)は
554年5月21日(欽明天皇15年4月9日)
欽明天皇蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)との間に生まれます。

推古天皇の両親
  • 推古天皇の父「欽明天皇」:日本の第29代天皇
  • 推古天皇の母「蘇我堅塩媛」:蘇我稲目の子ども

推古天皇の母親について

推古天皇の母である蘇我堅塩媛は
蘇我稲目の子ども(娘)です。

これは豆知識ですが
蘇我馬子の母も、蘇我稲目です。

つまり推古天皇と蘇我馬子は
血のつながりがあるということです。

 

推古天皇の父親について

推古天皇の父である欽明天皇は
推古天皇以外にもたくさんの子どもをつくっています。

例えば、敏達天皇や用明天皇、
泊瀬部皇子(崇峻天皇)などです。

※用明天皇は、あの聖徳太子の父親です。

 

推古天皇は絶世の美女だった!?

推古天皇の別名は
額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)です。

推古天皇は絶世の美女だったと伝わっています。

写真などは残っていないので
本当のところはわかりません。

ではなぜ美女だと伝わっているのか?

なぜなら、日本書紀の中に
そういった内容の記載があったからです。

飛鳥時代は、今からかなり昔なので
歴史の証拠となるものは
日本書紀や古事記くらいなのです。

 

推古天皇と敏達天皇

推古天皇の兄さんは、敏達天皇です。
そして推古天皇の夫も、敏達天皇です。

「???」になる方も多いことでしょう。

現在の常識なら、
疑問の雨がたくさん降る関係かもしれません。

しかし当時の日本では、近親婚は普通です。

推古天皇は兄である敏達天皇と結婚しています。

 

推古天皇即位の背景

592年に32代天皇の崇峻天皇が、
蘇我馬子によって暗殺されます。

そのあとに、第33代天皇として
推古天皇が誕生することになります。

 

当時、天皇の候補者は4人いました。

  1. 押坂彦人大兄皇子(敏達天皇と広姫の子ども)
  2. 竹田皇子(敏達天皇と推古天皇の子ども)
  3. 聖徳太子(用明天皇と穴穂部間人皇女の子ども)
  4. 推古天皇

敏達天皇と推古天皇の間には
竹田皇子(たけだのみこ)という子どもがいます。

押坂彦人大兄皇子も
敏達天皇の子どもですが
別の女性との子供なので、
色々と気まずい関係だったそうです。

 

推古天皇もしくは
竹田皇子が天皇になることを
蘇我馬子は望んでいました。

なぜなら、蘇我の血を引く人が天皇になると
蘇我氏にとって今後がやりやすくなるからです。

  • 竹田皇子→推古天皇の子ども
  • 推古天皇→蘇我堅塩媛の子ども

 

 

竹田皇子の年齢がまだ若すぎることや
押坂彦人大兄皇子側からの反発などを考え、
推古天皇が竹田皇子の中継ぎとして女帝となります。

※その後、竹田皇子は天皇になることありませんでした。
詳しい資料は残っていませんが
推古天皇の即位中に死亡した可能性が高いとされています。

 

推古天皇と摂政の聖徳太子

592年、推古天皇が第33代天皇となります。

 

当時、蘇我馬子のような豪族が力をつけて
政治が行われている状態を、推古天皇は
天皇中心の政治」にしたいと考えます。

 

そこで、有能であり信頼もしていた
聖徳太子を摂政とします。

摂政(せっしょう)とは
女帝や幼い天皇が即位した場合に存在し、
天皇の補佐をする役職です。

 

こうして推古天皇は、
権力を握っていた蘇我馬子
政治を支配させないことに成功します。

 

この行いが、後世でも推古天皇が
聡明な女性であったとして評価されています。

 

そして推古天皇は、仏教の教え
広めることで、平和な国づくりが
できると考えた聖徳太子に賛同。

仏教を保護する命令を出した推古天皇は
聖徳太子を自由に動かせて、
仏寺の建立遣隋使の派遣をします。

 

また、天皇中心の国づくりを目指すために、
十七条の憲法や冠位十二階の制定などにも貢献しました。

 

 

推古天皇の最期

628年4月15日(推古天皇36年3月7日)
推古天皇は亡くなります。享年75歳。

 

 

推古天皇と聖徳太子の関係性について

女帝推古と聖徳太子 (光文社新書)

 

推古天皇と聖徳太子の
関係性について簡単に解説します。

 

推古天皇と聖徳太子は家系だと
伯母(おば)と甥(おい)の関係にありました。

推古天皇は、欽明天皇の第3皇女で、
兄の用明天皇の息子が聖徳太子(厩戸皇子)です。

 

推古天皇と聖徳太子は、
とても近しい血縁関係にあったのです。

 

最後に

姫神 (文春文庫)

 

この記事では
推古天皇とはどんな人だったのか
聖徳太子との関係性についても
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

 

 

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