結論からいいますと
徳川綱吉の死因は不明です。
- 徳川綱吉の誕生日:1646年2月23日
- 徳川綱吉の命日:1709年2月19日
※徳川綱吉の最期(最後)の年齢は62歳
徳川綱吉の死因について
いくつかの説があります。
- 成人麻疹
- 窒息死
- 無理心中
徳川綱吉の死因は成人麻疹?
”徳川実記”によると、徳川綱吉の死因は当時流行していた成人麻疹(はしか)だとされています。
徳川綱吉の死因は窒息死?
徳川綱吉が正月に餅を食べ際に
餅をのどに詰まらせたことによる
窒息死というのが死因という説もあります。
徳川綱吉の死因は無理心中?
これは、徳川綱吉の正室であった
信子による無理心中という説です。
徳川綱吉の死から約70年後に出た
”翁草(おきなぐさ)”によると、
世継ぎに恵まれなかった徳川綱吉は、
寵愛していた柳沢吉里(よしさと)に
将軍職を継がせようとしたそうです。
それだと徳川家の血筋が途絶えてしまうと
信子は猛反対しましたが、聞く耳を持たなかったとか。
悩んだ信子は、
徳川綱吉を刺し殺して
自らも喉をついて自害した
という逸話が残っています。
徳川綱吉はどんな人?生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に解説
徳川綱吉(とくがわつよなよし)とは
江戸時代を生きた、江戸幕府の第5代将軍です。
- 徳川綱吉の誕生日:1646年2月23日
- 徳川綱吉の命日:1709年2月19日
※徳川綱吉の最期(最後)の年齢は62歳
犬好きとして知られた徳川綱吉は
「生類憐みの令」を出したことでも有名です。
この記事では
徳川綱吉はどんな人なのか?
その生涯(最初から最期まで)も
わかりやすく簡単に解説していきます。
徳川綱吉の死因考察にもぜひお役立てください💡
徳川綱吉の誕生
徳川綱吉は1646年に江戸城で誕生します。
徳川綱吉の両親
父は3代将軍の徳川家光で
母は側室の玉(後の桂昌院)です。
なぜ徳川綱吉が5代将軍に?
一番年上の兄である4代将軍の徳川家綱が
子どものいないまま急死してしまったため
1680年に徳川綱吉が5代将軍になります。
就任初期は、堀田正敏を雇用して
道徳や法による文治政治を行います。
しかし、堀田正敏が亡くなった後は柳沢吉保が実権を握ります。
そして徳川綱吉は、かの有名な
「生類憐れみの令」を出したりして
幕府の財政は悪化してしまいました。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」とは?
徳川綱吉が出した「生類憐れみの令」とは
生き物を殺すことを禁止した条例です。
子どもに恵まれたなかった徳川綱吉は、
「犬を愛護すれば、前世での罪を消せて子が授かる」と
真言僧の隆光に言われたことから、
この条例が出されたという説もあります。
徳川綱吉の死後に、
この生類憐れみの令はすぐに廃止されました。
徳川綱吉の身長は124㎝だった!?
徳川綱吉の身長は、
なんと124㎝の低身長症であったと
いわれているんです。
愛知県にある徳川家の菩提寺の
大樹寺(だいじゅじ)に、
徳川歴代将軍の位牌があります。
その位牌は、故人の身長と
同じ高さに作られているそうなのですが、
徳川綱吉の位牌は124㎝なのです。
しかし、徳川綱吉の身長が
124㎝ではないという説もあります。
その場合、
徳川綱吉が124㎝であったとするのは、
徳川綱吉を嫌っていた6代将軍の家宣と
7代将軍の家継時代の虚偽の記録であると考えられています。
徳川綱吉のあだ名は?
徳川綱吉には犬公方(いぬくぼう)
という”あだ名”があります。
これは犬を過度に大切にした
徳川綱吉に対する世の人々が
批判や皮肉の気持ちを込めてつけたものです。
徳川綱吉の最期(死因考察)
動物殺しを禁止する
「生類憐みの令」を出し
犬好きで有名だった徳川綱吉。
徳川綱吉の最期(最後)について
その詳細は明らかになっていませんが
成人麻疹による病死説が有力だとされています。
- 成人麻疹
- 窒息死
- 無理心中
- 徳川綱吉の誕生日:1646年2月23日
- 徳川綱吉の命日:1709年2月19日
※徳川綱吉の最期(最後)の年齢は62歳