土方歳三(ひじかたとしぞう)とは、
新選組の副長を務めた男です。
新選組の「鬼の副長」として
近藤勇や沖田総司などと活躍しました。
この記事では
土方歳三の刀について紹介していきます。
新選組の副長「土方歳三」の刀とは?
土方歳三が使っていたとされる4つの刀を紹介します。
- 和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)
- 堀川国広(ほりかわくにひろ)
- 葵越前康継(あおいえちぜんやすつぐ)
- 大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)
和泉守兼定【土方歳三の刀】
土方歳三の愛刀で一番有名なのが、この和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)です。
土方歳三は、複数の和泉守兼定を所持していたようです。
一つの和泉守兼定は
会津藩主の松平容保から賜った
とされる二尺三寸一分六厘のもので
11代目和泉守兼定作の大刀です。
土方歳三が新選組副長として京都にいる時に
八月十八日の政変や池田屋事件、
禁門の変などで使用していたと考えられています。
脇差の堀川国広と一緒に
愛用していたと伝えられています。
この刀が実在したのは確かなようですが、
現在行方が分かっていません。
もう一つの和泉守兼定は、
12代目和泉守兼定作で、函館戦争の際に
土方歳三が義兄の佐藤彦五郎に贈っています。
そのため、
この和泉守兼定は現在、
土方歳三資料館に展示されています。
当時、長めの刀が流行っていたそうで、
この刀は二尺八寸とかなり長い刀です。
堀川国広【土方歳三の刀】
堀川国広(ほりかわくにひろ)は、
脇差と呼ばれる一尺九寸六分の短刀です。
堀川国広作の刀はとても高価であり
大名階級でも手に入れるのが困難だった為
土方歳三が愛三していた堀川国広は
贋作(偽物)であったという説が一般的です。
この堀川国広は現存していません。
土方歳三では次のように記されています。
土方歳三の死後、日野に堀川国広という刀が戻ってきた記録は一切ない
太平洋戦争中に亡くなってしまったとか
戦勝の終結後にGHQによって海に葬られたとか
いくつかの憶測がされていますが、裏付けはされていません。
葵越前康継【土方歳三の刀】
葵越前康継(あおいえちぜんかねつぐ)は
南蛮鉄を使って作られた刀で、
こちらも一時期、土方歳三が使用していたとされています。
長さは二尺三寸五分で、
徳川将軍家の家紋として有名な
葵御紋がついています。
葵越前康継も、
甲州勝沼の戦いの敗戦後に土方歳三が
義兄の佐藤彦五郎に贈ったので現存しています。
「佐藤彦五郎新撰組資料館」で見ることができます。
大和守源秀國【土方歳三の刀】
大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)は
会津の刀工である秀国の作です。
長さは二尺二寸八分で、
土方歳三が愛用していた大和守源秀國は、
緑金に土方が好きだったとされる
”梅の意匠”が施されています。
この刀は戊辰戦争で使われたとされていて、
現在は、京都にある霊山歴史館に保管されています。
最後に
この記事では
新選組の副長「土方歳三」の刀について紹介しました。