鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)は明治時代初期に行われた戦いです。
- 開戦時期:1868年1月27日
- 終戦時期:1868年1月31日
※明治時代:1868年1月25日-1912年7月30日
この戦いは戊辰戦争の始まりと言われています。
鳥羽伏見の戦いとはどんな戦いだったのか
決戦の場所はどこだったのか?などなど
鳥羽伏見の戦いについて
史跡にも触れながらなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
鳥羽伏見の戦いとは?わかりやすく解説
鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いとは
どんな戦いだったのでしょうか?
わかりやすく解説していきます。
鳥羽伏見の戦いとは1868年1月3日に
江戸幕府15代将軍の徳川慶喜を擁する
旧幕府軍と、薩摩藩と長州藩を
中心とする新政府軍が争った戦いです。
新政府軍の兵力が4000~5000人、
旧政府軍の兵力は約15000人だったと言われています。
なお、徳川慶喜は病と称して
実際には参戦しないで大阪城に留まりました。
これは1869年の函館戦争にまで続く
戊辰戦争の始まりとなったのです。
結果は江戸幕府の大敗でした。
鳥羽伏見の戦いが行われた場所
鳥羽伏見の戦いは
京都市、八幡市の次の場所で行われました。
- 京都市南区上鳥羽
- 京都市伏見区下鳥羽
- 京都市伏見区竹田
- 京都市伏見区伏見
- 八幡市橋本
現在もこの地には
数多くの史跡が残されています。
鳥羽伏見の戦いの史跡について
現在でも、伏見区には
鳥羽伏見の戦いの史跡が
いくつも残っています。
- 小枝橋から城南宮
- 御香宮神社
- 伏見奉行所跡
これらの史跡について以下で解説していきます。
小枝橋から城南宮【鳥羽伏見の戦いの史跡】
1868年1月3日の夕方、
旧幕府軍と新政府軍が鳥羽の
小枝橋から城南宮付近で激突します。
この小枝橋付近で、薩摩藩が
アームストロング砲を発射したとされています。
小枝橋から100m程離れた場所には、
鳥羽伏見の戦跡の石柱があり、近くに
「鳥羽伏見の戦い 勃発の地」の説明が書かれています。
そして小枝橋から、鳥羽離宮跡公園を通り
東に進んだ場所にある城南宮の境内にも「鳥羽伏見の戦跡」の説明が書かれています。
御香宮神社【鳥羽伏見の戦いの史跡】
鳥羽伏見の戦いの史跡として
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)も有名。
小枝橋付近で鳴らされた
大砲の音は御香宮神社まで響いて
この地でも戦いがはじまります。
ここでは新政府軍の薩摩藩と、旧政府軍の
新撰組と会津藩が戦ったとされています。
また、御香宮神社は薩摩藩など
新政府軍の本営が置かれていました。
現在、御香宮神社の境内には
「明治維新 伏見の戦跡」の石碑があります。
伏見奉行所跡【鳥羽伏見の戦いの史跡】
現在、伏見奉行所跡があるこの地は
かつて伏見奉行所があって
旧政府軍の拠点となっていた場所です。
戦いが始まると、旧政府軍は
新政府軍からの激しい銃攻撃を受けて伏見奉行所は炎上します。
最後に
この記事では
鳥羽伏見の戦いはどんな戦いだったのか
決戦の場所はどこだったのかなどを
鳥羽伏見の戦いの史跡にも触れながら
なるべくわかりやすく解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。