元明天皇ってどんな人?何をした人?【簡単にわかりやすく解説】

元明天皇(げんめいてんのう)は
飛鳥時代から奈良時代までを生きた
日本の第43代天皇です。
※元明天皇は女性
誕生時期:661年
死亡時期:721年12月29日
この元明天皇は
都を平城京に移したり、
古事記を編纂させたことで有名です。
元明天皇とは何をした人か?
どんな人だったのか?などなど
元明天皇について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
目次
元明天皇とは?どんな人?
- 元明天皇の誕生日
- 元明天皇と草壁皇子
- 元明天皇の即位
- 元明天皇と和同開珎
- 元明天皇と平城京
- 元明天皇と古事記
- 元明天皇の最期
元明天皇の誕生日
元明天皇は661(斉明天皇7)年に
天智天皇の第4皇女として誕生します。
※元明天皇の具体的な誕生日は不明です。
元明天皇は幼名として
阿閉(あべ/あへ)皇女と名付けられます。
※幼名:おさない時の名前
豆知識ですが、元明天皇の母親は、
蘇我倉山田石川麻呂の姪娘だそうです。
元明天皇と草壁皇子
元明天皇は679年頃に
天武天皇の皇太子で
元明天皇の甥にあたる
草壁皇子(くさかべのおうじ)と結婚。
そして元明天皇は
氷高皇女(ひだかのおうじょ)(のちの元正天皇)と
軽皇子(かるのみこ)(のちの文武天皇)を産んでいます。
元明天皇の即位
軽皇子は祖母の持統天皇からの譲位を
受けて697年に文武天皇として即位します。
しかし文武天皇(軽皇子)は
草壁皇子と似て病弱であった為、
707年に病にかかってしまい翌年に亡くなります。
※文武天皇(軽皇子)が死去した年:25歳
文武天皇(軽皇子)には首皇子
(のちの聖武天皇)という子どもがいましたが
まだ幼かったため、その代わりに
元明天皇が天皇として即位します。
こうして元明天皇は
奈良朝第1代の女帝となったのです。
元明天皇と和同開珎
元明天皇は708(和銅1)年に
和同開珎の鋳造を命じています。
これは元明天皇の行った
有名な出来事の一つです。
元明天皇は、他国を参考にして
日本もきちんとした律令国家となることを
目指して行ったと考えられています。
元明天皇と平城京
さらに元明天皇は
710年4月13日(和銅3年3月10日)に
藤原京から平城京へと遷都しました。
またこの時期は、701年に造られた
大宝律令の整備をしており、実務に
長けていた藤原不比等が右大臣となり、
事実上の最高権力者になったそうです。
元明天皇と古事記
そして712(和銅5)年には、
天武天皇の代からの勅命であった
『古事記』を献上させました。
※勅命:天皇の命令
またその翌年には
『風土記』の編纂を命じています。
元明天皇の最期
715(霊亀元)年、元明天皇は
自身の老いを理由に氷高皇女に譲位します。
女性天皇同士の皇位の継承は
日本史上唯一の事例と言われています。
その後元明天皇は721年に発病し、
娘婿である長屋王と藤原房前らに
あとのことを託し、自身の葬送の
簡素化を命じたそうです。
そして
721年12月29日(養老5年12月7日)に
元明天皇は亡くなります。享年60歳。
最後に
元明天皇とは何をした人か?
どんな人だったのか?などなど
元明天皇について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。