持統天皇の死因は暗殺?最後はどうなった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】

WRITER
 
女性と家
この記事を書いている人 - WRITER -

結論からいいますと
持統天皇の死因は病死とされています。
しかし、当時の日本の時代背景などから
政治的な暗殺である可能性も考えられます。

  • 持統天皇の誕生日:645年
  • 持統天皇の命日:703年1月13日

※持統天皇の最期の年齢は58歳

 

持統天皇は、あの大化の改新を起こした天智天皇(中大兄皇子)の子ども(娘)であり、天武天皇(大海人皇子)の皇后(妻)になった女性です💡

柴犬

 

持統天皇はどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】

持統天皇―日本古代帝王の呪術

 

持統天皇(じとう てんのう)
飛鳥時代に生きていた
日本の第41代天皇です。
※持統天皇の性別は女性

  • 誕生時期:645年
  • 死亡時期:703年1月13日

 

持統天皇は天武天皇の皇后(妻)となります。

 

持統天皇はどんな人だったのか
何をした人なのか、などなど
持統天皇の生涯について
以下でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

持統天皇の死因の考察にぜひお役立てください!💡

柴犬

 

 

  • 持統天皇の誕生日
  • 持統天皇と天武天皇は夫婦
  • 持統天皇と壬申の乱
  • 持統天皇と天智天皇
  • 持統天皇と大津皇子
  • 持統天皇の即位
  • 持統天皇の政治
  • 持統天皇の最期

持統天皇の誕生日

持統天皇は645年(大化元年)
天智天皇遠江娘として生まれます。
※持統天皇の具体的な誕生日は不明です。

 

父の天智天皇とは、
大化の改新
活躍をした中大兄皇子です。

 

持統天皇の母「遠江娘」は、蘇我氏の血筋でした。

 

 

持統天皇と天武天皇(大海人皇子)は夫婦

 

持統天皇は13歳のときに
天智天皇の弟である大海人皇子と結婚

※天智天皇は、弟の大海人皇子に
持統天皇以外にも娘3人を嫁がせています。

 

662年、持統天皇は草壁皇子を産み
翌年に大田皇女が大津皇子を産みます。

 

 

持統天皇と壬申の乱

壬申の乱を読み解く (歴史文化ライブラリー)

672年、天智天皇の死によって
大海人皇子と天智天皇の嫡男である
大友皇子が皇位継承をめぐって争います。

この内乱は壬申の乱と呼ばれていて、
持統天皇は、大海人皇子のサポートをします。

 

そして大海人皇子が見事勝利をし、
天武天皇として即位します。

 

 

持統天皇と天智天皇

 

天武天皇の在位中、持統天皇は
政治に関する助言をしたりして
常に天皇を助けていた、と伝わっています。

天武天皇は679年に、
自身が経験した皇位継承の争いを
子ども達にさせないようにするために
兄弟同士で争わないと誓わせます(
吉野の盟約)。

 

685年、天武天皇は病気がちになり
代わって持統天皇が統治者となっていきます。

また、持統天皇の強い要望によって
次期天皇は草壁皇子とされていました。

 

持統天皇と大津皇子

持統天皇推薦の草壁皇子より
大津皇子の方が当時優れていたようです。

天武天皇も気に入っていたようで
世間からも大津皇子が評価されていました。

しかし天武天皇の死の数日後に
大津皇子に謀反(裏切り)が発覚して自殺します。

 

持統天皇らの速やかな謀反への対応や
大津皇子の人柄などからも、この事件は
持統天皇によるでっち上げと考えられています。

 

 

持統天皇の即位

しかしその甲斐むなしく
689年、草壁皇子が病死します。

持統天皇は、草壁皇子の息子である
軽皇子に皇位継承を望みますが、
まだ7歳という若さだった為に
その願いはかないませんでした。

そしてついに、
持統天皇自身が即位することとなります。

 

持統天皇の政治

ここまでのお話だと、あまり
いい人のイメージがないかもしれませんが、
持統天皇は様々な政治を遂行しています。

 

持統天皇は飛鳥浄御原(あすかきよみはら)
施行して班田収授法を実行。

 

律令政治の基盤を固めます。

 

奈良に藤原京を造営します。

日本で初めての本格的な都城といわれ
後の平城京平安京をしのぐ古代最大の都となります。

 

また外交では、天武天皇から引き続き
新羅と交際し、唐とは公的な関係を持ちませんでした。

 

持統天皇の最期

持統天皇は703年1月13日(大宝2年12月22日)に病死。

また、天皇では初めて火葬されています。

 

  • 持統天皇の誕生日:645年
  • 持統天皇の命日:703年1月13日

※持統天皇の最期の年齢は58歳

 

持統天皇の死因は病死とされています。
しかし、当時の日本の時代背景などから
政治的な暗殺である可能性も考えられます。

持統天皇は、あの大化の改新を起こした天智天皇(中大兄皇子)の子ども(娘)であり、天武天皇(大海人皇子)の皇后(妻)になった女性です💡

柴犬

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -

Copyright© でも、日本が好きだ。 , 2022 All Rights Reserved.