天智天皇(中大兄皇子)ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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中大兄皇子―戦う王の虚像と実像 (角川ソフィア文庫)

 

天智天皇(てんじてんのう)とは
飛鳥時代を生きた、日本の第38代天皇です。

誕生時期:626年
死亡時期:672年1月7日

 

大化の改新を行った中大兄皇子
(なかのおおえのおうじ)
の名でも知られています。

 

天智天皇(中大兄皇子)とは
いったいどんな人だったのか?
何をした人なのか?などなど
天智天皇(中大兄皇子)について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

天智天皇(中大兄皇子)ってどんな人?

学研まんが人物日本史 天智天皇 大化の改新

  • 中大兄皇子(天智天皇)の誕生日
  • 中大兄皇子(天智天皇)と蘇我入鹿
  • 中大兄皇子(天智天皇)と乙巳の変
  • 中大兄皇子(天智天皇)と大化の改新
  • 天智天皇(中大兄皇子)の即位
  • 「中臣鎌足」を「藤原鎌足」へ
  • 天智天皇(中大兄皇子)の最期(死因など)

中大兄皇子(天智天皇)の誕生日

中大兄皇子(天智天皇)は、
626年(推古天皇34年)に誕生します。

中大兄皇子(天智天皇)の母は斉明天皇
中大兄皇子(天智天皇)の父は舒明天皇だと伝わっています。
※天智天皇の具体的な誕生日は不明です。

 

天武天皇は同じ両親の弟にあたります。

 

そして中大兄皇子(天智天皇)には、
子どもがたくさんいました。
例えば持統天皇や弘文天皇などです。

  • 持統天皇:天智天皇と遠江娘の娘
  • 弘文天皇:天智天皇と伊賀采女宅子娘の息子

天智天皇は異母兄の古人大兄皇子の娘である
倭姫王(やまとひめのおおきみ)を皇后(妻)としますが、
生涯2人の間に子どもはいませんでした。

 

中大兄皇子(天智天皇)と蘇我入鹿

飛鳥時代の日本では
天皇中心の国づくりを目指した
聖徳太子が亡くなった後に、
蘇我馬子が権力を握ることとなります。

 

蘇我馬子が亡くなった後は、
その息子である蘇我蝦夷と孫の蘇我入鹿
大臣という地位で政治を行います。

 

そして、次期天皇の候補だった
聖徳太子の息子である山背大兄皇子(やましろのおおえのおう)
蘇我入鹿によって自害に追い込まれます。

 

中大兄皇子(天智天皇)と乙巳の変

山背大兄皇子の死を知った後、
中大兄皇子(天智天皇)は動きだします。

そして蘇我氏に不満を持っていた中臣鎌足
協力して蘇我氏を倒す計画を立て始めます。

 

645年、中大兄皇子は中臣鎌足らと
母である斉明天皇(皇極天皇)の御前で
蘇我入鹿を暗殺するという政変を行います(乙巳の変)。

 

蘇我入鹿の父である蘇我蝦夷
自殺した為、皇極天皇の弟である孝徳天皇を即位させます。

 

中大兄皇子(天智天皇)と大化の改新

そして翌年から中大兄皇子(天智天皇)
孝徳天皇と斉明天皇の両天皇の
皇太子となり、政治の中心人物として
天皇中心の国づくりを目指します。
※皇太子=皇位継承の第一順位の人。

この一連の改革が大化の改新です。

 

中大兄皇子は長い間
天皇には即位せずに、皇太子として政治で活躍します。

孝徳天皇の子ども「有間皇子」など、
次期天皇に有力な候補者もいましたが、
中大兄皇子は様々な手段を用いて処刑に追い込んだと言われています。

 

 

天智天皇(中大兄皇子)の即位

661年に斉明天皇が亡くなります。

そして668年に中大兄皇子は
都を大津宮(現在の滋賀県)にうつして
第38代天智天皇として即位します。

 

天皇として在位したのはわずか4年程ですが
天智天皇はこの時代の改革者であり、
今でも日本の歴史に名を残しています。

 

「中臣鎌足」を「藤原鎌足」へ

669年、中臣鎌足が亡くなる前日に
天智天皇(中大兄皇子)は中臣鎌足を内大臣に任じて、藤原の姓をあたえます。

なぜ中臣鎌足が死亡する前に
「藤原」の姓に変える必要があったのか?

気になる人もいるかもしれません。

どういうことかというと
病死の危機を迎えた中臣鎌足に対して
天智天皇は今までの功績をたたえたいと考えた。

そして天智天皇は、
今まで活躍してくれた中臣鎌足に
中臣鎌足が生まれた場所の地名にちなんで、
「藤原」の姓を与えたということです。

 

こういった流れで
中臣鎌足は死の直前に
「藤原鎌足」になりました。

そのため、
生きていた頃は「中臣鎌足」の名が使用され
「藤原氏の祖」としてを指す場合に「藤原鎌足」が使用されます。

 

天智天皇(中大兄皇子)の最期(死因など)

隠された帝――天智天皇暗殺事件 (祥伝社文庫)

天智天皇(中大兄皇子)は
672年1月7日(天智天皇10年12月3日)に病死します。享年46歳。

天智天皇(中大兄皇子)の死因は
ハンセン病であったと伝わっています。

 

最後に

週刊マンガ日本史03号 (中大兄皇子) 大化の改新 (2009/11/8号)

 

天智天皇(中大兄皇子)とは
いったいどんな人だったのか?
何をした人なのか?などなど
天智天皇(中大兄皇子)について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

 

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