版籍奉還(はんせきほうかん)は
明治時代の明治維新の際に行われた政治改革です。
明治政府による
中央集権強化のための改革で、
廃藩置県(はいはんちけん)の前提となりました。
版籍奉還とは何か?
どのような行政改革だったのか?などなど
版籍奉還について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
版籍奉還とは?
版籍奉還(はんせきほうかん)とは、
1869(明治2)年に全国の藩が
土地(版)と人民(籍)を朝廷に返上(奉還)した
出来事のことです。
1869年7月25日(明治2年6月17日)に
勅許されました。
大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)らが
薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の
4藩主に版籍奉還を出願させます。
他の藩主も次々とこれに倣わせました。
このあと明治政府は、
藩主をそれぞれの藩の知藩事(ちはんじ)に任命。
これによって土地と戸籍は
明治政府が統治するという
一定の成果を得ることができました。
版籍奉還の経緯
江戸時代が終わり、明治政府は
新しい国家体制を築こうと考えます。
鎖国をしていた江戸時代までは、
全国の諸藩が各自で財政や法律を
定めて国を治めました。
しかし開国した日本は
欧米諸国と対等に渡り合っていくめに
バラバラの国内をまとめなければいけません。
そこで明治政府は天皇を中心とした
中央集権を目指したのです。
それには、まず日本中にある
260もの藩を統治することが必要です。
そして明治政府は天皇を中心とした
一枚岩の国家体制を整えようとします。
そこで明治政府は
天皇に土地(版)と人民(籍)を返還するように
諸藩に命令を出すことにしたのです。
版籍奉還の結果
ここでは
版籍奉還の結果を
解説していきます。
実質変わらなかった【版籍奉還の結果】
版籍奉還を行った結果、
明治政府の藩への統制力は強まります。
しかし、版籍奉還だけでは
中央集権を確立することはできませんでした。
なぜなら、
今までの藩主が藩知事という職に
就いていて、名前が変わっただけで
統治体制は実質あまり変わらなかったのです。
廃藩置県の断行【版籍奉還の結果】
そのため明治政府は
2年後の1871(明治4)年に藩を廃止して
全国に県を置く廃藩置県を行います。
これには知藩事からの反対もありましたが
明治政府は新たに「華族」という
貴族の身分を用意したことで納得させたのです。
廃藩置県によって、
明治政府の目指していた
中央集権国家の統治基盤が確立したのです。
最後に
版籍奉還とは何か?
どのような行政改革だったのか?などなど
版籍奉還について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。