長谷川等伯ってどんな人?何をした人?【作品についてもわかりやすく簡単な言葉で解説】

別冊太陽166 長谷川等伯 (別冊太陽 日本のこころ 166)

 

長谷川等伯(はせがわとうはく)とは
幕末期(室町時代後期)から
江戸時代初期までを生きた絵師です。

誕生時期:1539年
死亡時期:1610年3月19日

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長谷川等伯とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
長谷川等伯の作品や
長谷川等伯について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

目次

長谷川等伯ってどんな人?

もっと知りたい長谷川等伯―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

長谷川等伯の誕生日

長谷川等伯は1539年(天文8年)
能登国七尾(現在の石川県)
戦国大名の畠山氏の下級家臣であった
奥村文之丞宗道の子として生まれます。
※長谷川等伯の具体的な誕生日は不明です。

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長谷川等伯は幼い頃に
染物屋を営む長谷川宗清の養子となり、
養父や養祖父から絵の手ほどきをうけます。

 

長谷川等伯、33歳で京へ

はじめは「長谷川信春」と名乗り
能登国を中心に、自ら信仰していた
日蓮宗関係の仏画を描きます。

しかし、戦乱後の反響で仕事は減り、
画業を続けることが困難となります。

 

そこで1571年、33歳の長谷川等伯は
新たな活動の場を求めて京へ旅立ちます。

 

長谷川等伯と金碧画

新たな京の地で、長谷川等伯は
堺の商人や千利休と親交を結びます。

のちに豊臣秀吉に引き立てられ、
狩野永徳らの狩野派と対抗するまでに。

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その後も晩年まで多くの絵を描き、
当時流行していた金地極彩色の手法
大画面構図方式を採り入れ、狩野派以上に
躍動的な金碧装飾画を作りました。

 

長谷川等伯の最期

長谷川等伯は
1610年3月19日(慶長15年2月24日)
病死します。享年72歳。

 

また、故郷である七尾市では
2010年に長谷川等伯没後400年
記念して、長谷川等伯をモデルとした
マスコットキャラクター”とうはくん”が作られました。

 

長谷川等伯の作品

没後400年 長谷川等伯 特別展覧会図録

ここでは長谷川等伯の
代表的な作品をいくつか紹介します。

  • 松林図屏風
  • 楓図

これらの作品について
以下で簡単に解説します。

 

松林図屏風【長谷川等伯の作品】

松林図屏風

松林図屏風』は
国宝にも指定されている、長谷川等伯の
最も有名な代表作品といえます。

この作品は長谷川等伯が、息子の
長谷川久蔵の死を嘆いて描きました。

 

手前の松は黒々とした濃い墨で荒々しく、
背後の松は淡墨で柔らかく描き、空間的奥行と
遠近感で広がりを感じさせています。

近世日本水墨画の代表作品と高く評価されています。

 

楓図【長谷川等伯の作品】

週刊ニッポンの国宝100 17 楓図・桜図/妙喜庵待庵(カエデズサクラズ ミョウキアンタイアン)[分冊百科] (2018年1/23号)

楓図』も国宝であり、
長谷川等伯の有名な作品の一つでもあり、
『松林図屏風』と同時期に描かれました。

豊臣秀吉が、3歳で亡くなった愛児の
鶴松のために建立した京都の祥雲寺の
障壁画として描かれたものです。

 

泥などで地を作った上に岩絵具で
濃彩を施した金碧画(きんぺきが)の代表作と評価されています。

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最後に

別冊太陽166 長谷川等伯 (別冊太陽 日本のこころ 166)

この記事では、
長谷川等伯についてや
長谷川等伯の作品についても
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

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