壬申の乱とは?決戦の場所はどこ?【簡単にわかりやすく解説】

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壬申の乱
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壬申の乱 (戦争の日本史)

壬申の乱(じんしんのらん)
飛鳥時代に起こった日本での内乱です。

 

古代日本史上最大の内乱と言われています。

 

壬申の乱とは何か?
決戦の場所はどこだったのか?などなど
壬申の乱について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

壬申の乱とは?

壬申の乱を読み解く (歴史文化ライブラリー)

壬申の乱とは
672年7月24日(天武天皇元年6月24日)から
672年8月21日(天武天皇元年7月23日)まで
約1か月間続いた古代日本最大の内乱のことです。

 

天智天皇である
大海人皇子(おおあまのおうじ)
天智天皇子どもである
大友皇子(おおとものおうじ)が、
皇位継承をめぐって争いました。

壬申の乱

大海人皇子(天智天皇の弟)
VS
大友皇子(天智天皇の子ども)

内乱の結果、
大友皇子は敗北して自殺します。

 

その翌年に、
大海人皇子が即位して
天武天皇となります。

 

壬申の乱が起こった経緯

天武天皇の企て 壬申の乱で解く日本書紀 (角川選書)

  • 天智天皇と大海人皇子
  • 皇位継承問題(大海人皇子ではなく大友皇子が皇位継承)
  • 吉野へ逃れる大海人皇子
  • 天智天皇が死亡後に、大海人皇子が戦いを開始

天智天皇と大海人皇子【壬申の乱が起こった経緯】

645年に大化の改新を成功させた
中大兄皇子は668年に即位して、天智天皇となります。

天智天皇(中大兄皇子)は
班田収授法の政策を打ち出すなどして
天皇による公地公民を実現します。

そして実弟である大海人皇子が、
天智天皇の補佐をしていました。

皇位継承問題【壬申の乱が起こった経緯】

当時の皇位継承については
親子よりも兄弟が優先されていました。

そのため、次の天皇には
天智天皇(中大兄皇子)の弟である
大海人皇子が選ばれるのが普通の流れです。

ところが、天智天皇は寵愛していた
我が子の大友皇子への皇位継承を望みます。

そして671年、
天智天皇は大友皇子を太政大臣に任じて
次の天皇は大友皇子であると世に知らしめます。

 

吉野へ逃れる大海人皇子【壬申の乱が起こった経緯】

この際、大海人皇子
出家して吉野へ逃れています。

その理由については諸説ありますが、
天智天皇は出方によっては大海人皇子を
殺害しようと考えており、大海人皇子は
身の危険を察知したからと考えられています。

また出家することで、皇位継承への
執着の疑いを向けさせないねらいもあったとか。

 

天智天皇が死亡後に、大海人皇子が戦いを開始【壬申の乱が起こった経緯】

そして672年1月に天智天皇が亡くなると、
大海人皇子は7月24日に挙兵して吉野を発ったということです。

 

壬申の乱の決戦の場所はどこ?

壬申の乱を歩く (歴史の旅)

大海人皇子が逃れた吉野というのは
現在の奈良県吉野郡吉野村周辺です。

この地に逃れて出家をした大海人皇子は
天智天皇の死後に、挙兵します。

 

決戦の場所は大和、近江などで、
最大の決戦となったのは、現在の
滋賀県大津市にある瀬田唐橋の決戦と言われています。

 

大友皇子は美濃へ3人の使者を送って
安八麿郡(あはちまのこおり)の兵を徴収して
不破道(ふわのみち)」の閉塞を命じています。

不破道とは現在の不破関と考えられていて
東国と都を結ぶ重要なルートでありました。

 

この不破道を防いだことで大友皇子は
東国での徴兵ができずに敗れたと考えられています。

 

最後に

本当は怖ろしい万葉集 壬申の乱編 (祥伝社黄金文庫)

壬申の乱とは何か?
決戦の場所はどこだったのか?などなど
壬申の乱について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

 

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