西郷隆盛(さいごうたかもり)は、幕末期に
国を変えるために尽力した政治家です。
新しい日本を作るために活躍した
西郷隆盛は、各地に銅像が建てられています。
この記事では
西郷隆盛の銅像について紹介します。
上野公園にある西郷隆盛像
西郷隆盛の銅像は、全国各地に建てられています。
特に有名なのは、東京都台東区の上野公園に
建てられた、犬と共に立つ姿の西郷隆盛像です。
これは詩人・高村光太郎の父である
彫刻家・高村光雲(たかむらこううん)の作です。
連れている犬の銅像は
西郷隆盛の愛犬・ツンで、後藤貞行の作です。
なぜ上野公園にあるの?【西郷隆盛の銅像】
西郷隆盛といえば、
薩摩(鹿児島県)の人物として有名です。
しかも、新しい明治政府を築いた
人物ではありますが、最後は反政府として
西南戦争を起こして亡くなっています。
なぜ上野公園に西郷隆盛の銅像が
建てられたのでしょうか?
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上野公園には徳川将軍家ゆかりの
寛永寺という菩提寺があります。
西郷隆盛と勝海舟が
江戸無血開城の会談を行った後、
それに反対する徳川家の家臣らが
彰義隊(しょうぎたい)を結成して
この寛永寺に立て籠もったのです。
この時に西郷隆盛は軍勢を率いて
彰義隊との戦いに参戦します。
そして現在、
上野公園の西郷隆盛の銅像がある場所に
西郷隆盛が攻め込んだと言われています。
つまり、
上野公園に西郷隆盛の銅像が建てられたのは、
この地が西郷隆盛にとって、
ゆかりある場所だったからと考えてられています。
西郷隆盛の妻「糸子」が銅像をみて、「こんな人じゃない」と発言
また、この西郷隆盛の銅像を見た
西郷隆盛の妻「糸子」は、薩摩弁で
「やどんしはこげんなお人じゃなかったこてえ」
=「うちの人はこんな人はなかった」
という言葉を漏らした話が有名です。
※やどんし=宿主、夫のこと。
これはどういう意味だったのでしょうか?
浴衣を着ていたから
妻・糸子が西郷隆盛の銅像を見て
「こんな人ではなかった」と言った理由で
一番有力と考えられているのが、
浴衣を着ていたからという説です。
はじめは西郷隆盛の銅像は
軍服を着た陸軍大将の姿で製作されていたそうです。
さらに馬にも乗っている予定だったとか。
しかし、資金不足で騎乗の銅像は断念。
そして西郷隆盛の銅像に
軍服を着せることに猛反対する人もいます。
それは、西郷隆盛は最後
逆賊になったという事情があるからです。
逆賊とは、先にも書いた通り、
政府に反対して西南戦争を起こしたことです。
そういったことから、
西郷隆盛像は浴衣姿を着て、
犬を連れている姿となるのです。
しかし妻の糸子からすれば、
西郷隆盛は服装にうるさく
家の中でもきっちりしていたそうです。
当時の浴衣は人前に出る服ではなかったため、
糸子は銅像を見てがっかりしたのではないかと考えられています。
最後に
この記事では
西郷隆盛の銅像について紹介しました。