江戸無血開城とは何か?【簡単にわかりやすく解説】

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江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー)

 

1867年、日本の歴史において
260年続いた江戸幕府が幕を閉じます。

 

江戸無血開城とは何か?
どんな出来事だったのか?などなど
江戸無血開城について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

 

江戸無血開城とは?

幕末日本の情報活動―「開国」の情報史

まずは
江戸無血開城とは何かを解説します。

 

江戸無血開城は
1868年4月から5月にかけて
江戸城が新政府東征軍に無血
明け渡された出来事です。

 

必然的に武力攻撃になりえる状態を
東征軍大総督府参謀である西郷隆盛
幕府陸軍奉行である勝海舟が会見を行って
武力攻撃を直前に回避することに成功します。

 

勝海舟らは、徳川慶喜の助命と
徳川家の存続を条件に、江戸城を
新政府軍に明け渡す開城を行ったのです。

 

江戸無血開城になるまで

聴く歴史・幕末維新時代『西郷と海舟だからできた江戸無血開城』〔講師〕半藤一利

1867年に
大政奉還王政復古の大号令が行われた後、
鳥羽伏見の戦いから始まる新政府軍と
旧幕府軍の戦争である戊辰戦争が起こります。

 

戊辰戦争は革命戦争であり、新政府は
徳川家に厳しい処分求める考えが主流でした。

 

西郷隆盛が大久保利通へ送った書状では、
徳川慶喜を切腹させるべきと訴えています。

 

また、新政府軍は江戸城への攻撃を
慶応4年3月15日(1868年4月7日)と決定します。

 

その一方で、旧幕府軍の勝海舟は、
山岡鉄太郎(鉄舟)を西郷隆盛のもとへ派遣します。

 

そして山岡鉄太郎が、江戸での戦争は
人民が一気に反乱を起こす危険などを説きます。

またイギリス公使パークスは内乱による
日本市場の混乱を恐れて、新政府軍へ
圧力をかけたとされています。

 

山岡鉄太郎の交渉によって西郷隆盛は、
旧幕府軍との会談を受け入れます。

 

そして慶応4年3月13日、14日の2日間に
東京都にある薩摩藩江戸藩邸において
新政府軍の西郷隆盛と、旧幕府軍の
最高責任者である会計総裁の大久保一翁
勝海舟による会合が行われます。

 

江戸城進撃のギリギリ前日まで
交渉が行われていたということですね。

 

会談の結果、
西郷隆盛は勝海舟と大久保一翁を信頼し、
翌日の江戸城進撃を中止にしたのです。

 

江戸無血開城の功績

なぜ、江戸無血開城はそこまで
すごいことと言われているのでしょうか?

 

もし江戸城総攻撃が行われていたら
日本の中心地であった江戸の町が火の海となり
100万人の江戸の住民の命と住み家
危ぶまれるところでした。

また、江戸が無傷で開城されたことで
都市の生産性を維持することができ、
現在日本の首都である東京が誕生したのです。

もし、江戸が燃えてしまっていたら
現在の都市は変わっていたかもしれませんね。

 

また、戦争によって日本市場が
混乱すると恐れていた外国諸国ですが、
内乱を起こさなかったことで、新政府は
外国と良好な関係が築けたと考えられます。

 

江戸無血開城と徳川家

徳川家は田安亀之助(徳川家達いえさと)が相続、
駿河(現在の静岡県)70万石へ移封となります。

また徳川最後の将軍となった徳川慶喜
水戸(現在の茨城県)に隠居することとなりました。

 

最後に

江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー)

この記事では
江戸無血開城について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

 

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