西郷隆盛の妻「糸子(いとこ)」ってどんな人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

WRITER
 
女性の後ろ姿
この記事を書いている人 - WRITER -

西郷の妻―西郷隆盛と妻イトの生涯

 

西郷隆盛(さいごうたかもり)は幕末期に
活躍したことでとても有名な人物です。

 

そんな西郷隆盛には生涯3人の妻がいて、
最後の妻は「糸子」という女性でした。

西郷隆盛の妻「西郷糸子」は
幕末期(江戸時代後期)に誕生し
大正時代までを生き続けた女性です。

誕生時期:1843年
死亡時期:1922年6月11日

 

この記事では、西郷隆盛の妻
「糸子(いとこ)」とはどんな人なのかを
わかりやすく簡単な言葉で解説していきます。

 

 

 

西郷隆盛の妻「糸子(いとこ)」について

糸子、隆盛の妻 (文藝春秋企画出版)

 

西郷隆盛の妻「糸子(いとこ)」は
1843年頃に薩摩藩家老座書役を勤めた
岩山八郎太直温の次女として誕生します。
※糸子の具体的な誕生日は不明です。

 

西郷隆盛は1828年生まれなので
2人は、およそ15歳差ということです。

 

 

また、糸子は西郷隆盛と結婚する前に
上役の海老原家に嫁いでいますが、
すぐに離縁をしています。

 

西郷隆盛は2人とも再婚同士ということや
自身が全国を行き来すしたりと多忙な身で
あったことから、再婚に乗り気ではなかったようです。

しかし、薩摩藩の名将であった
小松帯刀(こまつたてわき)が媒酌人をつとめて
1865年2月23日に、37歳の西郷隆盛と
22歳の糸子は結婚します。

約180cmで大柄であった西郷隆盛と
約150cmで華奢な糸子という2人だったとか。

 

 

また、糸子は祝言で初めて西郷隆盛と対面し
よかにせ(いい男)じゃ」と一目ぼれだったそうです。

 

糸子は、西郷隆盛との間に
3人の子どもを産んでいます。

  • 寅太郎
  • 牛次郎
  • 酉三

 

さらに、西郷隆盛の2番目の妻である
愛加那との2人の子どもも薩摩で
引き取り、糸子が養育しています。

糸子は、菊次郎と菊子も我が子のように扱い、
西郷隆盛が亡くなった後も、糸子は
愛加那に生活費を送り続けたと伝わります。

 

 

 

西郷隆盛
薩摩の家にいないことが多かったのですが、
それでも糸子は家の留守を守り続けます。

 

1877年に西郷隆盛西南戦争で亡くなると
国賊の妻という状況でありながらも
糸子は気丈に子供たちを育てました。

 

 

その後糸子は、息子(寅太郎)の結婚のために
上京して、そのまま寅太郎宅で暮らします。

糸子は1922年(大正11年)6月11日に亡くなります。享年79歳。

 

 

西郷隆盛の妻「糸子(いとこ)」はどんな人だった?

 

糸子は明るくて冗談好き

糸子は潔癖症で他人が汚れた手で
物を触ると叱りつける一面があったそうです。

また冗談を好んだ明るい性格だったようで
西郷隆盛との夫婦仲は円満でした。

 

西郷隆盛も「糸子は良妻」

西郷隆盛は、妻の糸子のことを
良妻」と評していたそうです。

また、当時の薩摩の男性には珍しく
糸子の作った料理も褒めていました。

西郷隆盛が借金を返し終えたのも、
やりくり上手の糸子の功績もあったのです。

 

 

糸子の訴え。西郷隆盛の銅像に「こんな人じゃない!」

西郷隆盛の銅像

 

西郷隆盛の死後から21年の1898年、
上野の地に西郷隆盛の銅像が建てられます。

 

それを見た糸子は
うちの主人はこんな人じゃなかった
と発言したことは有名です。

 

 

最後に

西郷の妻―西郷隆盛と妻イトの生涯

 

この記事では、西郷隆盛の妻
「糸子(いとこ)」ってどんな人かを
わかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© でも、日本が好きだ。 , 2018 All Rights Reserved.