西郷隆盛の銅像について。

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西郷隆盛の像
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西郷隆盛―写真 (1983年)

西郷隆盛(さいごうたかもり)は、幕末期に
国を変えるために尽力した政治家です。

 

新しい日本を作るために活躍した
西郷隆盛は、各地に銅像が建てられています。

 

この記事では
西郷隆盛の銅像について紹介します。

 

 

上野公園にある西郷隆盛像

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西郷隆盛の銅像は、全国各地に建てられています。

特に有名なのは、東京都台東区の上野公園に
建てられた、犬と共に立つ姿の西郷隆盛像です。

これは詩人・高村光太郎の父である
彫刻家・高村光雲(たかむらこううん)の作です。

 

連れている犬の銅像は
西郷隆盛の愛犬・ツンで、後藤貞行の作です。

 

なぜ上野公園にあるの?【西郷隆盛の銅像】

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西郷隆盛といえば、
薩摩(鹿児島県)の人物として有名です。

しかも、新しい明治政府を築いた
人物ではありますが、最後は反政府として
西南戦争を起こして亡くなっています。

なぜ上野公園に西郷隆盛の銅像が
建てられたのでしょうか?


上野公園には徳川将軍家ゆかりの
寛永寺という菩提寺があります。

 

西郷隆盛と勝海舟
江戸無血開城の会談を行った後、
それに反対する徳川家の家臣らが
彰義隊(しょうぎたい)を結成して
この寛永寺に立て籠もったのです。

この時に西郷隆盛は軍勢を率いて
彰義隊との戦いに参戦します。

そして現在、
上野公園の西郷隆盛の銅像がある場所に
西郷隆盛が攻め込んだと言われています。

 

つまり、
上野公園に西郷隆盛の銅像が建てられたのは、
この地が西郷隆盛にとって、
ゆかりある場所だったからと考えてられています。

 

西郷隆盛の妻「糸子」が銅像をみて、「こんな人じゃない」と発言

西郷の妻―西郷隆盛と妻イトの生涯

 

また、この西郷隆盛の銅像を見た
西郷隆盛の妻糸子」は、薩摩弁で

「やどんしはこげんなお人じゃなかったこてえ」
=「うちの人はこんな人はなかった」

という言葉を漏らした話が有名です。

※やどんし=宿主、夫のこと。

 

これはどういう意味だったのでしょうか?

浴衣を着ていたから

妻・糸子が西郷隆盛の銅像を見て
「こんな人ではなかった」と言った理由で
一番有力と考えられているのが、
浴衣を着ていたからという説です。

はじめは西郷隆盛の銅像は
軍服を着た陸軍大将の姿で製作されていたそうです。

さらに馬にも乗っている予定だったとか。

 

しかし、資金不足で騎乗の銅像は断念。

そして西郷隆盛の銅像に
軍服を着せることに猛反対する人もいます。

それは、西郷隆盛は最後
逆賊になったという事情があるからです。

逆賊とは、先にも書いた通り、
政府に反対して西南戦争を起こしたことです。

 

そういったことから、
西郷隆盛像は浴衣姿を着て、
犬を連れている姿となるのです。

 

しかし妻の糸子からすれば、
西郷隆盛は
服装にうるさく
家の中でもきっちりしていたそうです。

 

当時の浴衣は人前に出る服ではなかったため、
糸子は銅像を見てがっかりしたのではないかと考えられています。

 

最後に

西郷隆盛101の謎 (文春文庫)

この記事では
西郷隆盛の銅像について紹介しました。

 

 

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