菅原道真ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

WRITER
 
男性と太陽
この記事を書いている人 - WRITER -

菅原道真 見果てぬ夢

 

菅原道真(すがわらのみちざね)とは
平安時代貴族です。

誕生時期:845年8月1日
死亡時期:903年3月26日

 

天満天神として信仰の対象となり
太宰府天満宮北野天満宮など
菅原道真公を祀る神社が多く存在します。

 

菅原道真とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
菅原道真について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

 

菅原道真ってどんな人?

菅原道真―詩人の運命 (ウェッジ選書)

菅原道真の誕生日

菅原道真は
845年8月1日(承和12年6月25日)
貴族で学者でもあった
菅原是善(これよし)の子として誕生します。

 

菅原道真と神童

菅原道真は、幼少期から学問の才能を発揮。

わずか5歳で和歌を詠み、
11歳で漢詩を詠むなどして
神童」と称されます。

 

18歳になると、漢学を学ぶ
文章生(もんじょうせい)となり
翌年には試験に合格、
学者の最高位である文章博士に。

 

この優秀さから、菅原道真は現在も
学問の神様」として信仰されています。

 

また菅原道真は、学問だけではなく
弓においては百発百中の腕前など、
まさしく文武両道の人物だったのです。

 

菅原道真と政治

父の死後に菅原道真は、
祖父の私塾の運営を行います。

また、讃岐国(現在の香川県)の長官として
赴任し、国を建て直す善政を行うなど
学者としても政治家としても大活躍します。

 

菅原道真と宇多天皇

その実績が宇多天皇から厚い信任を受け、
菅原道真は要職を任されることとなります。

宇多天皇は優秀な菅原道真を重用して
藤原氏をけん制しようと考えたのです。

 

政治面で活躍しながら、ついに
菅原道真は右大臣にまで昇りつめます。

 

菅原道真の左遷

しかし中級貴族であった菅原道真の
出世や政治に不満を持つ貴族が出てきます。

 

また、菅原道真の後ろ盾となっていた
宇多天皇醍醐天皇に譲位して
出家してしまったことから、
菅原道真は
少しずつ朝廷で孤立していきます。

 

そして901年、左大臣であった
藤原時平は、醍醐天皇に菅原道真の
ありもしない悪口(讒言ざんげん)を言います。

 

それは「菅原道真は醍醐天皇を廃し
天皇の弟であり菅原道真の義理の息子にあたる
斉世親王を天皇にしようとしている」
といった内容です。

 

有能な菅原道真に天皇の位を脅かされることを
恐れた醍醐天皇は、事実を確認しないまま
菅原道真を都から遠い九州へ追放します。

 

こうして菅原道真は身に覚えのない
疑いをかけられたまま、官位を下げられ
大宰府へ左遷されてしまうのです。

 

菅原道真の和歌

左遷されたときに菅原道真が
詠んだこちらの歌は有名です。

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

【訳】
春の東風が吹くようになったら、
花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。
私がいなくても春を忘れないでいておくれ。

 

菅原道真の最期

菅原道真は
903年3月26日(延喜3年2月25日)
疑いをかけられたまま、病で亡くなります。享年59歳。

 

菅原道真の死後、
都で厄災が相次いだことから、原因は
菅原道真の怨霊であると噂が広がります。

そのため、菅原道真公の怒りを鎮める為に
北野天満宮などが造営されました。

 

最後に

摂関政治と菅原道真 (敗者の日本史)

 

菅原道真とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
菅原道真について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -

Copyright© でも、日本が好きだ。 , 2018 All Rights Reserved.