源頼朝は、鎌倉幕府を開き、初めて
武家政権を築き上げた人物です。
そんな源氏を代表する家紋は
「笹竜胆」と知られていますが、
実は、、源頼朝はこの家紋を、
使っていなかったのかもしれないのです。
では、源頼朝はどんな家紋を
実際に使っていたのでしょうか?
この記事では
源頼朝の家紋について紹介していきます。
源頼朝は笹竜胆を使っていなかった!?【源頼朝の家紋】
「笹竜胆(ささりんどう)」は源氏を
代表する家紋と言われています。
笹竜胆の模様は
リンドウの葉を下向きに五枚並べて
上に花を三つ置いたものです。
現在でも神奈川県鎌倉市の市章は
笹竜胆で、市の花もリンドウとなっています。
しかし、源頼朝が笹竜胆の家紋を
使っていたという確証はないのです。
笹竜胆を使ったのは村上源氏!
実際にこの笹竜胆を
家紋として使っていたのは
公家の源氏(村上源氏)です。
少しややこしいですが
源氏の中にも複数のグループがあり
村上源氏は源頼朝のグループではありません。
※源頼朝は清和源氏
笹竜胆の家紋が誕生したのは
鎌倉時代初期だとされています。
中央上級貴族として栄えた村上源氏が
この笹竜胆の家紋を使い始め、
その後に宇多源氏、清和源氏など、
他の源氏一族も使い始めたそうです。
源頼朝は清和源氏ですが、
笹竜胆を家紋とした清和源氏は
源頼朝の時期にはいなかったとされています。
「源氏の家紋=笹竜胆」
と認識されている理由は
後の時代に、源頼朝が
源氏の棟梁だから使ったのではないかと思う
歌舞伎や能が広まったからと言われています。
他にも江戸時代の歌舞伎などで
源頼朝や源義経を演じる際に
武士の服に家紋がないのはおかしいという理由で
勝手に笹竜胆をつけてしまったという説もあります。
では、源頼朝は当時
どんな家紋を使っていたのでしょうか?
源氏は白い旗だった【源頼朝の家紋】
元々、家紋の文化は
公族(貴族)の発祥です。
家紋が武士たちにも広まったのは
平氏の滅亡後といわれています。
それまでの源氏と平氏の争いの際は
源氏なら白い旗、平氏なら赤い旗を掲げて
敵と味方で分かれていたのです。
しかし、
1185年の”壇の浦の戦い”で
平氏が滅びたことで、
みんなが源氏の味方となります。
源頼朝が家紋を与えた
平氏が滅びてすぐの1189年に
常陸の佐竹隆義は奥州藤原征伐の際に
いつも通り無地の白旗を掲げたところ、
源頼朝に注意されたとされています。
↓
平氏が滅亡して
世は皆白旗(源氏の味方)なので
紛らわしいから印をつけなさい
そうして満月を描いた五本骨の扇を与えて
旗につけさせたと伝えられています。
それ以来、他の武士たちも
白旗に家紋を描くようになったそうです。
源頼朝は、ただ旗の識別を
したかったわけではなく、
「無地の白旗を掲げる資格のある
”源氏の嫡流”はあくまで私だけである」
という意思だったのでしょう。
この話は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に書かれています。
最後に
この記事では
源頼朝の家紋について解説しました。