壇ノ浦の戦いとは?決戦の場所はどこ?【わかりやすく解説】

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海の上での決戦
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週刊 絵で知る日本史 16号 壇ノ浦合戦図屏風

 

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)とは
平安時代末期に行われた戦闘です。

時期:1185年の春頃

 

治承・寿永の乱の最期の戦いで
栄華を誇った平家が滅亡に至りました。

 

この記事では
壇ノ浦の戦いとはどんな戦い
決戦の場所はどこだったのかなど、
わかりやすく簡単に解説していきます。

 

 

壇ノ浦の戦いとは?

源平争乱 群雄ビジュアル百科

 

まず、壇ノ浦の戦いを簡潔に説明します。

壇ノ浦の戦いとは
1185年4月25日(寿永4年3月24日)
長門国赤間関壇ノ浦(現・山口県下関市)
行われた源氏平氏の最期の決闘です。

 

この戦いで平氏は源氏の軍に敗れて
大将であった平宗盛は捕らえられ、
平家は滅亡しました。

 

壇ノ浦の戦いの背景

ビジュアル版源平争乱大百科〈1〉源氏編

 

ここでは、
壇ノ浦の戦いが起こるまでの背景を簡単に説明します。

  • 平氏の衰え
  • 源範頼や源義経に追い詰められる

平氏の衰え【壇ノ浦の戦いの背景】

保元の乱平治の乱を経て
太政大臣にまで昇りつめた平清盛

 

 

全盛期には後白河法皇の院政を中止するなど
朝廷の中で政治をも動かしていましたが
周囲から反感や不満なども集まります。

 

さらに平清盛が病死したことで、
平氏の勢力は次第に衰えていきます。

 

源範頼や源義経に追い詰められる【壇ノ浦の戦いの背景】

1183年、源義仲に攻められた平氏は
安徳天皇と三種の神器を連れ出して
都(京)を抜け出し、西へと逃走します。

 

ちなみに三種の神器とは次のものです。

三種の神器
  • 八咫鏡(やたのかがみ)
  • 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
  • 草薙剣(くさなぎのつるぎ)

 

源頼朝は、三種の神器奪還を名目として
弟の源範頼(のりより)源義経に平氏を追わせます。

 

1184年には、源義経の
”鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)”で
有名な一ノ谷の戦い
屋島の戦いなどで平氏を襲います。

 

一方、範頼は九州の平氏方を
葦屋浦(あしやうら)の戦いで破った為、
平氏の軍は長門彦島(下関)に孤立してしまいます。

 

 

壇ノ浦の戦いは海上戦!

源平の争乱

 

長門彦島に籠った平氏ですが、
東からは源義経、西からは範頼が迫ってきます。

しかし、平氏の総帥であった
宗盛らは平知盛の軍と合体、
九州の源範頼の軍に背後をけん制されながらも、
500以上の兵船で、義経率いる840の船と戦います。

はじめは
海戦を得意としていた平氏が有利でしたが、
途中で潮の流れが逆転してことによって
形勢が逆転します。

源氏が一気に平氏に猛攻撃を仕掛けて、
平氏は壊滅状態となりました。

 

 

壇ノ浦の戦いの後

源平興亡三百年 (SB新書)

 

敗北が決まったとき、多くの
平氏一門が海に飛び込んで失命します。

このとき、まだ6歳であった安徳天皇と、
三種の神器の一つであった草薙剣は
海底に沈んでしまったと言われています。

また、平清盛の娘(建礼門院)も
入水しますが、救助されています。

宗盛父子は生け捕りにされた後、斬首されました。

 

 

最後に

ビジュアル源平1000人 ( ) ( )

 

この記事では
壇ノ浦の戦いとはどんな戦いか
決戦の場所はどこだったのかなど、
なるべくわかりやすく解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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