源頼朝ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

WRITER
 
源頼朝の像
この記事を書いている人 - WRITER -

源平武将伝 源頼朝 (コミック版 日本の歴史)

 

源頼朝(みなもとのよりもと)
平安時代末期に誕生し
鎌倉時代初期までを生きた武将です。

誕生時期:1147年5月9日
死亡時期:1199年2月9日

 

鎌倉幕府の初代征夷大将軍
なった人物としても有名です。

 

源頼朝とはどんな人だったのか?
源頼朝は何をした人なのか?などなど
源頼朝について
この記事ではなるべく簡単な言葉で、
わかりやすく解説していきます。

 

 

 

源頼朝とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】

源頼朝(3) (山岡荘八歴史文庫)

 

源頼朝の誕生日

久安3年4月8日(1147年5月9日)に
源頼朝は、源義朝の三男として
尾張国熱田(現・愛知県)で誕生します。

 

源頼朝の母は、熱田大宮司
藤原季範(すえのり)の娘である由良御前です。

 

源頼朝と源義経は、
異母兄弟の関係
にあたります。

 

 

源頼朝、朝臣に

1156年、父の源義朝保元の乱
後白河天皇方につき、勝利したため
その2年後に源頼朝は上西門院に仕え、朝臣となります。
※朝臣(ちょうしん)とは、朝廷に仕える家来のことです。

 

1159年には、源頼朝は
二条天皇の蔵人となっています。

 

 

 

源頼朝の初陣は平治の乱

源頼朝(1) 平治の乱の巻 (山岡荘八歴史文庫)

 

源頼朝の初陣は、
1159年(平治元年)の
平治の乱だったと言われています。

 

このとき源頼朝は13歳。

一時、藤原頼朝と手を組んでいた
源頼朝の父「源義朝」側が優勢であったため、
源頼朝も従五位下・右兵衛権佐の官位を受けます。

しかし敵側の平清盛が帰京したことで
状況は一変し、父の源義朝は殺されます。

 

そしてこの時、源頼朝も
捕らえられてしまいます。

首を斬られるところでしたが、
平清盛の継母「池禅尼」の嘆願などにより
死罪は免れ、伊豆への流罪となったそうです。

 

 

源頼朝、北条政子と結婚

北条政子の幸福論 ―嫉妬・愛・女性の帝王学― (幸福の科学大学シリーズ)

 

源頼朝の伊豆での流人生活は
ほとんど史料が残っていませんが、
比較的自由な生活ができていたと考えられています。

1177年頃、北条時政の娘である
北条政子と結婚しています。

 

関東制圧

その間、京では平氏の政(まつりごと)
対する不満が高まっていました。

そして1180年(治承4年)に
後白河法皇の息子である
以仁王から
「平家を倒せ」という
命令が源頼朝に下ります。

 

この流れで源頼朝は北条時政らと共に
平氏討伐の兵を挙げることになります。

平家に不満を持つ武士が続々と参加し
その中には源頼朝の弟「源義経」もいました。

 

平氏との戦いを源義経に任せて
源頼朝自身は鎌倉を本拠とし
関東の制圧を開始します。
※鎌倉(かまくら):現在の神奈川県

 

これがのちの
鎌倉幕府へとつながります。

 

平氏を倒して源義経を追放

源頼朝は、1184年に
弟の源範朝と源義経を送って
不仲であった源義仲を倒します。

 

さらに1185年には
壇の浦の戦い”で平氏を滅ぼします。

 

しかし、この間に源義経は
後白河法皇に接近するなど
勝手な行動をとったため、
源頼朝を怒らせます。

そして源頼朝は源義経と対立し、
源義経を鎌倉から追放します。

 

源頼朝、鎌倉幕府の初代征夷大将軍に

源頼朝は、源義経追放と
各地の武士の反乱防止も兼ねて
全国へ守護・地頭を配置を許可して
幕府開設の基盤を固めます。

これによって力を強めた源頼朝は
欧州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定します。

 

そして1192年、源頼朝は
鎌倉幕府の初代征夷大将軍に任じられました。

「良い国作ろう鎌倉幕府」
と学校で習った方も多いことでしょう。

しかし最近の研究では
鎌倉幕府の成立時期は
じつは1192年ではなかった。
ということがわかっています。

実質的に鎌倉幕府が成立したのは
1185年の可能性が高いそうです。

 

源頼朝の最期(死因なども紹介)

 

1199年2月9日(建久10年1月13日)に
源頼朝は亡くなります。享年53歳。

「源頼朝の死因は落馬」
と歴史上で紹介されることもありますが
実際のところ、正確にはわかっていません。

 

 

源頼朝の家紋について

蒔絵シール 家紋ステッカー 「丸に笹竜胆 銀」

↑笹竜胆の画像

源頼朝の家紋といえば
「笹竜胆(ささりんどう)」の家紋を
イメージする方も多いかもしれません。

たしかに「笹竜胆」は
源氏を代表する家紋です。

しかし、源頼朝はこの家紋を、
実は使っていなかった可能性があるそうです。

 

源頼朝の家紋については
以下の記事でさらに詳しくまとめています。

 

 

 

最後に

源頼朝 (中世武士選書38)

 

源頼朝とはどんな人だったのか?
源頼朝は何をした人なのか?などなど
源頼朝についてなるべく簡単な言葉で、
わかりやすく解説していきました。

 

この記事が少しでも
あなたのお役にたてばうれしいです。

 

 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© でも、日本が好きだ。 , 2019 All Rights Reserved.