赤松則村(あかまつのりむら)は
鎌倉時代に誕生し
室町時代前期まで生きた武将、守護大名です。
誕生時期:1277年
死亡時期:1350年2月18日
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築城者でもあります。
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赤松則村について
なるべくわかりやすく
簡単な言葉で紹介していきます。
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目次
赤松則村(円心)とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】
- 赤松則村(円心)の誕生日
- 赤松則村(円心)と元弘の乱
- 赤松則村(円心)、足利尊氏に加担
- 建武政権の崩壊
- 赤松則村(円心)の最期(晩年)
赤松則村(円心)の誕生日
鎌倉時代の1277年に、
赤松則村(円心)は誕生します。
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播磨国(現在の兵庫県)佐用荘の
豪族・宇野氏一族の赤松家に生まれます。
赤松茂則の子どもとして生まれますが、
詳しい生誕月日は分かっていません。
赤松則村の若い頃の動向については
あまり記録が残っていないのが現状です。
赤松則村は出家して
円心という法名でも知られています。
1319年、甥の宗峯妙超のため
京都紫野に庵(後の大徳寺)を建てます。
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赤松則村(円心)と元弘の乱
1331年、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を
掲げて挙兵した元弘の乱が起こります。
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1333年、
後醍醐天皇の皇子「大塔宮護良親王」の
文書を受けて反幕府勢力として
叡山から吉野で鎌倉幕府勢と戦います。
また、京に兵をすすめる途中に
姫山に砦を築きます。
これが後の姫路城の砦となります。
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赤松則村(円心)は倒幕のため苔縄城に挙兵します。
山陽道を東上し、味方に付いた
足利尊氏らと共に京に侵攻し、
六波羅を攻め落としました。
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後醍醐天皇の建武政権が成立し、
赤松則村は播磨国守護に任じられます。
赤松則村(円心)、足利尊氏に加担
鎌倉幕府滅亡後の建武の新政では
恩賞に播磨国を与えられながら、
理由なく没収されてしまうなど
不遇であったことも伝えられています。
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これをきっかけに新政に
不満を抱くようになります。
そして1335年、足利尊氏も
新政府に反して関東に向かうと、
これに応じて次男・貞範を同行させます。
尊氏から改めて
播磨守護職を授けられます。
以後、赤松則村は足利方として戦い、
京都方面から進撃してきた義貞を
総大将とする尊氏討伐軍6万騎を、
播磨赤松の白旗城で迎え撃ちました。
建武政権の崩壊
その後尊氏は九州を制圧し、
西国の武士を軒並み味方に加えつつ
軍勢を海と陸の二手に分けけて東上を開始します。
相手方の士気は極端に低下し、
寝返りや足利軍への投降者も続出し、
さらに白旗城を出てきた
赤松軍の追撃も受け総崩れとなります。
尊氏は湊川の戦いで新田軍に勝利し
建武政権は崩壊し、室町幕府が開かれます。
そして赤松則村は2か国の守護となります。
赤松則村(円心)の最期(晩年)
1337年、赤松則村(円心)は
佐用荘苔縄に法雲寺を建立します。
高僧・雪村友梅を開山に招きます。
尊氏と執事の高師直と弟の足利直義が
対立した観応の擾乱においては尊氏方に従います。
直義方の直冬を追討するために
軍を編成している最中、
赤松則村は京都七条にある邸宅で急死します。
1350年1月11日のことでした。
最後に
兵庫県「姫路城」の築城者である
赤松則村(円心)とはどんな人なのか、
何をした人なのか、などなど
赤松則村についてなるべくわかりやすく
簡単な言葉で紹介しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。
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