清水寺(きよみずでら)は
京都府京都市東山区清水にある寺院です。
清水寺はどんな寺だったのか?
清水寺を建てた人は誰だったのか?
この記事では、清水寺の歴史や
観光での見どころについても
わかりやすく簡単に解説していきます。
清水寺の歴史をわかりやすく簡単に
清水寺の歴史は約1200年前まで遡ります。
奈良時代の778年、大和国の興福寺の僧
「賢心(けんしん)」が夢のお告げにより、
音羽山(おとわやま)に小さな小屋を建てたのが
清水寺誕生の起源と言われています。
※賢心は、のちの延鎮上人(僧延鎮)です。
その2年後の780年に
鹿を捕まえようとして
音羽山に入った坂上田村麻呂が
清水寺の生みの親である賢心から
鹿狩りの殺生について戒められます。
※「戒める」の意味:過ちを犯さないために注意する
また、坂上田村麻呂は賢心から
観世音菩薩(かんせおんぼさつ)の教えを諭され、
自らの邸宅を仏殿として寄進します。
平安時代初期の798年に
坂上田村麻呂は賢心と協力して
清水寺の本堂を大規模に改築します。
そしてその時、本尊・十一面千手観音像と
地蔵菩薩・毘沙門天を安置したそうです。
清水寺の大部分を作ったのは
坂上田村麻呂ということになるため
「清水寺を作った人=坂上田村麻呂」
という認識で問題ないかと思います。
847年に葛井親王が三重塔を創建。
しかし清水寺は1063年の火災以降、
1629年の間に9回もの焼失を繰り返しています。
そして1633年には徳川家光の寄進によって
現在の伽藍のほとんどが再建されています。
奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。
現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。
現在、音羽山の中腹に広がる
清水寺の境内(広さ13万平方m)には
国宝と重要文化財を含む30以上の
伽藍や碑などが建ち並んでいます。
1944年に清水寺はユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されています。
清水寺の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
清水寺の見どころを
わかりやすく簡単に紹介していきます。
観光前に要チェックです!
■清水寺の見所
清水の観音として平安時代以来多くの人々が参拝。
参道を上りつめると、東山の音羽山を背に仁王門、西門、三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれる。
春の桜と新緑、秋の紅葉と四季折々の美しさを背景にした懸崖造りの本堂(国宝)は、断崖の上にせりだし、市街地の眺望も最高。あわせて15の堂塔(いずれも重要文化財)が建ちならぶ。
本堂(ほんどう)【清水寺の見どころ】
清水寺の一番の見どころは、
やはり「本堂」と「清水の舞台」。
日本では
「清水の舞台から飛び降りる」という、
思い切って大きな決断をする際の
ことわざもあり、非常に有名なスポットです。
また、十一面先手観音像は秘仏であり、
33年に一度の御開帳でその姿を拝むことができます。
脇侍の毘沙門天、
勝軍地蔵ともに秘仏となっています。
■秘仏(ひぶつ)
信仰上の理由により非公開とされ、
厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。
仁王門(におうもん)【清水寺の見どころ】
清水寺に訪れて、
まず目に入るのが仁王門でしょう。
その奥には総丹塗に極彩色文様が
美しい三重塔と西門がそびえています。
この場所は写真映えする
スポットとしても知られています。
また、仁王門は別名
「目隠しの門」と呼ばれています。
理由は、清水の舞台から
天皇の住まいである「御所」を
見下ろしてしまわない為に、
その場所に建てられたからなんです。
昔の人たちの配慮を
感じられる建造物ですね。
三重塔(さんじゅうのとう)【清水寺の見どころ】
三重塔は重要文化財で、
赤い総丹塗が印象的です。
一層の壁には真言八祖像、
天井や柱には密教物画や飛天・
龍などが極彩色で描かれています。
三重塔としては日本最大級で、
高さが約31メートルあります。
最後に
清水寺とはどんな寺なのか?
あなたの心の中で少しでも
イメージが膨らめば幸いです。
繰り返しになりますが
清水寺を建てた人物は
賢心(のちの延鎮上人)と坂上田村麻呂です。
そして江戸時代の1633年に
清水寺を再建した人が徳川家光。
その他、清水寺の歴史や
観光の見どころについても
なるべく分かりやすく解説していきました。
寺の歴史に興味のある方や
これから清水寺を観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。