ピリ辛味のプチプチ食感がたまらない明太子♪
ご飯のお供だけでなく、
麺料理やお菓子のフレーバーになるほど
万能な食材ですよね!
明太子といえば博多のイメージがありますが、
日本が明太子発祥の地なのでしょうか?
この記事では、
明太子発祥の地や起源、歴史について
簡単にわかりやすく解説していきます。
明太子発祥の地はどこ?【明太子の起源について】
明太子は辛子明太子とも呼ばれ、
スケトウダラの卵(卵巣)を
辛子入りの調味料につけたものです。
日本では博多が明太子の生産では有名ですが、
残念ながら発祥の地は日本ではありません。
明太子発祥の地は朝鮮半島(韓国)とされています。
朝鮮半島の東海岸で獲れるスケトウダラの卵は
もともと塩辛として食べられていました。
やがて、
その塩辛に唐辛子を入れるようになったのが明太子の起源です。
明太子の歴史
明太子の歴史は1800年頃に始まったとされています。
明太子の起源である
スケトウダラの卵の塩辛は
17世紀頃から朝鮮半島で食べられていたそうです。
日本にはいつ頃明太子が伝わったのでしょうか?
明太子の始まり【明太子の歴史】
日本に明太子が伝わるのは明治時代、
1900年代初頭だといわれています。
当時、下関と韓国釜山との間では
関釜連絡船が運航されていました。
その際に
スケソウダラの辛子漬け(明卵漬)が
運ばれてきたのが最初とされています。
ニンニクと唐辛子のタレに漬け込まれた
明卵漬は現代のキムチに近いものであったそうです。
明太子の販売【明太子の歴史】
明太子の歴史を語るには欠かせない
樋口伊都羽氏は明太子を初めて販売した人です。
明治時代、
会津藩士の息子伊都羽氏は朝鮮半島へ渡り、
のちに漁業に従事するようになります。
そのとき、スケソウダラの卵が
ほとんど廃棄されてしまうのを残念に思い
商品化を考えたのが始まりです。
スケソウダラの卵に唐辛子を細かく刻み
塩漬けにするまぶし型辛子明太子を開発しました。
そして明治40年、
釜山で樋口商店を創業させ明太子の販売を開始します。
韓国だけでなく一時日本に輸出されるも
戦争が終わるにつれ明太子の人気は落ちていきました。
やがて樋口商店は廃業となり、
日本へ明太子を輸出することが難しくなります。
日本での明太子製品化【明太子の歴史】
終戦を機に日本に引き上げた人は大勢おり、
その中で朝鮮半島に住んでいたころの
明太子の味を忘れられずにいた人がいました。
それが老舗明太子メーカー「ふくや」創業者の
川原俊夫氏でした。
釜山で食べていた明卵漬の記憶を基に作るも
日本人の口に合うようなものはできず、
試行錯誤して出来上がるまでに10年かかったそうです。
そうして誕生したのが漬け込み型の辛子明太子でした。
スケトウダラの卵を辛味調味料に漬け込み
乳酸発酵を伴う製造方法です。
これが評判となり、
明太子の製造法は企業秘密とせず
多くの人に教えたそうです。
すると、博多では
漬け込み製法の明太子を製造する会社が増え、
各社独自のアレンジを加えた明太子を開発するようになりました。
こうして明太子が
博多でたくさん製造されるようになり
「博多名物」として定着していきます。
全国的に明太子が広まるきっかけとなったのは
1975年に新幹線が博多まで伸び、
明太子輸送が容易になったことでしょう。
現在、
日本の明太子消費量は年間3万トンとされ、
日本人には欠かせないものとなっています。
最後に
この記事では
明太子発祥の地や起源、
歴史について簡単にわかりやすく解説しました。