結論からいいますと
福沢諭吉の死因は病死です。
※福沢諭吉の死因となったその病気は
脳溢血(のういっけつ)という名の病気。
- 福沢諭吉の誕生日:1835年1月10日
- 福沢諭吉の命日:1901年2月3日
※福沢諭吉の最期(最後)の年齢は66歳
福沢諭吉の最期(最後)の場所は
三田山上にあった自宅でした。
福沢諭吉がこの世を去った後
福沢諭吉の遺体は三田山上から
菩提寺の善福寺に運ばれました。
そして、福沢諭吉の葬儀の後
福沢諭吉の遺体は白金大崎村の
本願寺の墓地に埋葬されました。
※福沢諭吉の遺体が入った棺桶を運ぶ際、1万人を超える行列が出来たといわれています
福沢諭吉はどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】
福沢諭吉(ふくざわゆきち)は
江戸時代後期から明治時代までを生きた武士です。
※蘭学者、教育者、啓蒙思想家でもある
- 福沢諭吉の誕生日:1835年1月10日
- 福沢諭吉の命日:1901年2月3日
※福沢諭吉の最期(最後)の年齢は66歳
福沢諭吉は慶応義塾の創設者であり、
「学問のすゝめ」の著者としても有名です。
福沢諭吉は何をした人なのか?
どんな人だったのか?などなど
福沢諭吉の生涯について
以下でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
※福沢諭吉の死因考察にもお役立てください💡
- 福沢諭吉の誕生日
- 福沢諭吉と蘭学
- 福沢諭吉と蘭学塾
- 福沢諭吉と渡米
- 福沢諭吉と『西洋事情』
- 福沢諭吉と慶應義塾
- 福沢諭吉と『学問のすゝめ』
- 福沢諭吉と明治維新
- 福沢諭吉の最期
福沢諭吉の誕生日
福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)は
1835年1月10日(天保5年12月12日)に
大阪にある中津藩(現在の大分県中津市)の屋敷で
下級藩士の福沢百助の次男として誕生します。
福沢諭吉の父親は、福沢諭吉が2歳の頃に
出世できずに下級藩士のまま亡くなります。
※福沢諭吉は父の無念を「藩閥政治は親の敵」と振り返っています
福沢諭吉と蘭学
福沢諭吉は父の死後に中津へ戻り、
下駄作りなどをして貧しい家計を助けます。
14歳で塾に通い始めて
19歳の時に長崎で蘭学や砲術を学びます。
その後、大阪の蘭学者である緒方洪庵(おがたこうあん)の適々斎塾で学びます。
※適々斎塾(てきてきさいじゅく)とは、緒方洪庵が江戸時代の後期に大坂の船場に開いた蘭学の私塾です
福沢諭吉と蘭学塾
1858年、福沢諭吉は
江戸で蘭学塾を開きます。
しかし、翌年に
外国人が多くいる横浜を訪れたところ、
オランダ語が通じず、外国人は英語ばかり
使っていたことにショックを受けます。
英語を教えてくれる人がいなかった為、
英語とオランダ語を対訳した辞書をもとに
福沢諭吉は独学で英語を学んだそうです。
福沢諭吉と渡米
1860年、25歳の福沢諭吉は
幕府の船である咸臨丸(かんりんまる)に乗って
アメリカのサンフランシスコに渡ります。
平等と自由に象徴されるアメリカの文化は
福沢諭吉に大きな衝撃を与えたそうです。
また、この時に一緒に乗船していた
勝海舟の態度が気に入らなかったようで、
福沢諭吉は生涯を通じて勝海舟がとても嫌いだったとされています。
福沢諭吉と『西洋事情』
帰国した福沢諭吉は結婚しますが、
その翌年に再びヨーロッパへと派遣されます。
1866年に、海外での見聞記録を
『西洋事情』という本にまとめて出版。
20万部を超えるベストセラーとなり、
徳川慶喜も読んだと言われています。
福沢諭吉と慶應義塾
1868年、築地にあった蘭学塾を
港区に移し「慶應義塾」と名付けます。
塾生から毎月授業料を徴収した
学校の運営はこれが初めてでした。
福沢諭吉と『学問のすゝめ』
福沢諭吉は1872年に
『学問のすゝめ』を刊行します。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
これは学問のすゝめの有名な冒頭であり、
現代社会の基盤ともなっている言葉です。
庶民でも買いやすい値段であったり、
漢字にも読み仮名を振ったりしており
300万部のベストセラーとなりました。
福沢諭吉と明治維新
明治維新後、福沢諭吉は
他にも様々な事業を行っています。
- 国会開設運動への参加
- 新聞『時事新報』の創刊
- 専修大学の創設
- 一橋大学の創設
- 神戸商業高校の創設
- 北里研究所の創設
- 東京大学医科学研究所の創設
他にも、中央銀行の仕組みを日本に伝えたり
『西洋度案内』では近代的な保険制度について書いています。
福沢諭吉の最期
福沢諭吉は
1901(明治34)年2月3日に脳溢血が
再発し、亡くなります。享年66歳。
福沢諭吉の死因は病死です。
※福沢諭吉の死因となったその病気は
脳溢血(のういっけつ)という名の病気。
- 福沢諭吉の誕生日:1835年1月10日
- 福沢諭吉の命日:1901年2月3日
※福沢諭吉の最期(最後)の年齢は66歳
豆知識ですが、勝海舟の死因も福沢諭吉の死因と同じ脳溢血でした💡