弘前城(ひろさきじょう)ってどんな城?城主は誰?【弘前城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】

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弘前城
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弘前城(ひろさきじょう)は
青森県弘前市にあるお城です。

 

弘前城ってどんな城なのか?
弘前城の城主はいったい誰なのか?

 

この記事では
弘前城の歴史城主だけでなく
観光での見どころについても
分かりやすく解説していきます。

 

弘前城の歴史について

弘前城 (PHPムック)

 

弘前城の歴史は1594年まで遡ります。

 

戦国武将の津軽為信が津軽に入り、
弘前にお城を築城しようと計画します。

しかし築城開始して間もなく
為信は京都にて亡くなったため、
家督を継いだ津軽信枚が築城を再開し
わずか1年2か月程の期間で築城します。

 

 

1611年、津軽信枚が
弘前城の城主となります。

 

江戸時代初期の1627年。

弘前城が落雷に遭い、天守で炎上し内部の火薬に引火して大爆発。

弘前城の5層6階の天守、本丸御殿、諸櫓などが消失してしまいます。

 

当時の武家諸法度により
自由に城を築くことは禁止されていた為
天守は再建されず櫓で代用されます。

以後200年近く
天守のない時代が続きました。

 

時は流れ1810年、津軽藩主の寧親が
隅櫓を改造する形で天守を新築します。

 

これが現存する天守であり、
西南隅に三層を成し
御三階櫓と呼ばれています。

 

なお落雷により焼失した五層の天守は、
本丸南西部を守っていた櫓で
現在は石垣のみ残されています。

 

弘前城は、現在の弘前市における弘前公園がそれにあたり、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代目信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。

引用:青森県観光情報サイト

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弘前城の見どころとは?観光前に要チェック!

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弘前城の城内はもちろんのこと、
弘前城周辺にも
いくつもの名所があるんです。

ここでは
弘前城の見どころ
紹介していきます!

 

天守【弘前城の見どころ】

 

落雷による火事で
一度は消失してしまった天守。

建築年こそ新しいものですが、
水のあるお堀側の東・南両面には
鉄扉をつけていません。

1・2階にはその中央に張り出しをつけ
切妻破風・石落としを設けるなど
古形式を特徴としています。

 

弘前公園【弘前城の見どころ】

 

弘前城の前にある弘前公園では、
年間を通して様々なイベントを行います。

  • 春…弘前さくらまつり
  • 夏…弘前ねぷたまつり
  • 秋…菊と紅葉まつり
  • 冬…弘前城雪燈籠まつり

毎年、春には
弘前公園内のソメイヨシノは
樹齢100年を越すものが300本以上あり、
桜並木の迫力を楽しめます。

他にも夏に行われる弘前ねぷたまつりは
国の重要無形民俗文化財に指定されています。

また、行われる期間などは
年によって異なる場合があるので、
旅行前に必ずチェックしておきましょう。

 

長勝寺構・新寺町【弘前城の見どころ】

 

弘前城の城下町には
弘前城の西を守る長勝寺と
南を守る新寺町があります。

どちらも江戸時代に建てられたもので
新寺町には最勝院五十塔という
古い建物があります。

藩祖津軽為信の津軽統一の際に
戦死した敵味方の将士を供養されるために建立されました。

 

最後に

弘前城 (PHPムック)

 

弘前城(ひろさきじょう)の歴史や城主、
観光での見どころについて
なるべく分かりやすく解説しました。

城の歴史に興味のある方や
これから弘前城を観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

 

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