三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は
京都府京都市東山区三十三間堂廻町にある仏堂です。
建物の正式名称は
「蓮華王院本堂」ですが
三十三間堂として知られています。
この記事では
三十三間堂の歴史だけでなく
観光での見どころについて
分かりやすく解説していきます。
三十三間堂の歴史について
かつてこの地には、
後白河上皇が離宮して建てた
法往寺殿がありました。
その広大な法往寺殿の一画に
建てられたのが三十三間堂です。
後白河上皇が平清盛に
建立の資材協力を命じて
1165年に完成したそうです。
創建当時は五重塔なども建つ
本格的な寺院でしたが、1249年の
火災で焼失してしまい、後に
後嵯峨上皇が本堂のみを再建しました。
当時は朱塗り外装で、内装も
極彩色で飾られていたそうです。
それ以降丁重に扱われ、
室町時代の足利義政によって
本格的な修復が行われます。
桃山時代になると、
この地が交通の要所であったこと、
後白河上皇や平清盛の栄華にあやかろうと
考えた豊臣秀吉は、三十三間堂の
北隣に大仏殿方広寺を造営します。
また、お堂や後白河上皇のお墓も
境内に取り込んで土塀を築きました。
現在も、その遺構として
南大門・太閤塀が残り、共に
重要文化財に指定されています。
江戸時代には各藩の弓術家により
お堂西縁の南端から120mの距離で
矢を射る「通し矢」の舞台となります。
的中率などを競うもので、
京都の名物行事となりました。
現在も、その伝統にちなんだ
「三十三間堂大的全国大会」が
毎年1月中旬に行われています。
三十三間堂の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
三十三間堂の見どころを
紹介していきます。
観光前に要チェックです!
本堂【三十三間堂の見どころ】
現在の本堂は1266年に
後嵯峨上皇によって建立されました。
現在京都の洛中にある建物の中では
大報恩寺に次いで古く、鎌倉時代から
続く建物はこの2つのみなんです。
内部には、中央に本尊千手観音坐像が
左右と後ろにはなんと1001体もの
千手観音立像が安置されています。
同じ顔のものは一つもなく、
一つ残らず拝められるように配置されているそうです。
南大門・太閤塀【三十三間堂の見どころ】
南大門・築地塀は共に
重要文化財に指定されています。
豊臣秀吉の時代に創建されたもので
瓦には「天正十六年」と刻まれていて、
軒丸瓦には豊臣家の家紋があります。
木造風神像・雷神像【三十三間堂の見どころ】
1001体の千手観音の両脇に
木造風神像と雷神像が安置されており
鎌倉時代に制作されたものだそうです。
寄木造りで彩色が加えられたもので、
本来はインドの聖典である
「リグ・ヴェーダ」に出てくる神ですが
昔の信仰の影響で日本的に造形されていると伝えられています。
最後に
この記事では
三十三間堂(蓮華王院)の歴史、
観光での見どころについて
なるべく分かりやすく解説しました。
仏堂の歴史に興味のある方や
これから三十三間堂を
観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。