三十三間堂(蓮華王院)とは?【歴史や見どころをわかりやすく解説】

新版 古寺巡礼京都〈18〉妙法院・三十三間堂

 

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
京都府京都市東山区三十三間堂廻町にある仏堂です。

 

建物の正式名称は
蓮華王院本堂」ですが
三十三間堂として知られています。

 

この記事では
三十三間堂の歴史だけでなく
観光での見どころについて
分かりやすく解説していきます。

 

あわせて読みたい
日本のお寺の歴史をわかりやすく簡単に【都道府県別】 ■人気の日本のお寺まとめ 妙心寺(みょうしんじ) 東本願寺(ひがしほんがんじ) 龍安寺(りょうあんじ) 仁和寺(にんなじ) 東福寺(とうふくじ) 天龍寺(てんりゅうじ...

 

目次

三十三間堂の歴史について

週刊ニッポンの国宝100 5 三十三間堂/洛中洛外図上杉本(サンジュウサンゲンドウ ラクチュウラクガイズビョウブウエスギボン)[分冊百科] (2017年10/24号)

 

かつてこの地には、
後白河上皇が離宮して建てた
法往寺殿がありました。

あわせて読みたい
後白河天皇の死因とは?どんな最後だった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】 結論からいいますと 後白河天皇の死因は病死と考えられています。 後白河天皇の誕生日:1127年10月18日 後白河天皇の命日:1192年4月26日 ※後白河天皇の最期の年齢は64...

 

 

その広大な法往寺殿の一画に
建てられたのが三十三間堂です。

 

後白河上皇平清盛
建立の資材協力を命じて
1165年に完成したそうです。

あわせて読みたい
平清盛の死因とは?どんな最後だった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】 結論からいいますと 平清盛の死因は病死です。 平清盛の誕生日:1118年2月10日 平清盛の命日:1181年2月4日 ※平清盛の最期の年齢は64歳 平清盛は最期、熱病にうなされな...

 

創建当時は五重塔なども建つ
本格的な寺院でしたが、1249年の
火災で焼失してしまい、後に
後嵯峨上皇が本堂のみを再建しました。

当時は朱塗り外装で、内装も
極彩色で飾られていたそうです。

 

それ以降丁重に扱われ、
室町時代足利義政によって
本格的な修復が行われます。

あわせて読みたい
足利義政の死因とは?どんな最後だった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】 結論からいいますと 足利義政の死因は病死です。 蔭涼軒日録によると 足利義政の最期について 中風が悪化した旨が書かれてます。 ※中風(ちゅうふう):脳卒中の後遺症...

 

 

桃山時代になると、
この地が交通の要所であったこと、
後白河上皇や平清盛の栄華にあやかろうと
考えた豊臣秀吉は、三十三間堂の
北隣に大仏殿方広寺を造営します。

あわせて読みたい
豊臣秀吉ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】   豊臣秀吉(とよとみひでよし)は 戦国時代(室町時代末期)から 安土桃山時代を生きた武将・大名です。 誕生時期:1537年3月17日 死亡時期:1598年9月18日 https:/...

 

また、お堂や後白河上皇のお墓も
境内に取り込んで土塀を築きました。

現在も、その遺構として
南大門・太閤塀が残り、共に
重要文化財に指定されています。

 

江戸時代には各藩の弓術家により
お堂西縁の南端から120mの距離で
矢を射る「通し矢」の舞台となります。

的中率などを競うもので、
京都の名物行事となりました。

現在も、その伝統にちなんだ
「三十三間堂大的全国大会」が
毎年1月中旬に行われています。

 

 

三十三間堂の見どころとは?観光前に要チェック!

日本の古寺仏像DVDコレクション 9号 (妙法院/三十三間堂) [分冊百科] (DVD付)

 

ここでは
三十三間堂の見どころ
紹介していきます。

観光前に要チェックです!

 

本堂【三十三間堂の見どころ】

 

現在の本堂は1266年に
後嵯峨上皇によって建立されました。

現在京都の洛中にある建物の中では
大報恩寺に次いで古く、鎌倉時代から
続く建物はこの2つのみなんです。

内部には、中央に本尊千手観音坐像が
左右と後ろにはなんと1001体もの
千手観音立像が安置されています。

同じ顔のものは一つもなく、
一つ残らず拝められるように配置されているそうです。

 

南大門・太閤塀【三十三間堂の見どころ】

 

南大門・築地塀は共に
重要文化財に指定されています。

豊臣秀吉の時代に創建されたもので
瓦には「天正十六年」と刻まれていて、
軒丸瓦には豊臣家の家紋があります。

 

木造風神像・雷神像【三十三間堂の見どころ】

 

1001体の千手観音の両脇に
木造風神像と雷神像が安置されており
鎌倉時代に制作されたものだそうです。

寄木造りで彩色が加えられたもので、
本来はインドの聖典である
「リグ・ヴェーダ」に出てくる神ですが
昔の信仰の影響で日本的に造形されていると伝えられています。

 

最後に

日本古寺美術全集〈第25巻〉三十三間堂と洛中・東山の古寺 (1981年)

 

この記事では
三十三間堂(蓮華王院)の歴史、
観光での見どころについて
なるべく分かりやすく解説しました。

仏堂の歴史に興味のある方や
これから三十三間堂を
観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

 

あわせて読みたい
日本のお寺の歴史をわかりやすく簡単に【都道府県別】 ■人気の日本のお寺まとめ 妙心寺(みょうしんじ) 東本願寺(ひがしほんがんじ) 龍安寺(りょうあんじ) 仁和寺(にんなじ) 東福寺(とうふくじ) 天龍寺(てんりゅうじ...
あわせて読みたい
人気で有名な日本のお城とその城主について🏯【都道府県別】 弘前城(ひろさきじょう) 仙台城(せんだいじょう) 久保田城(くぼたじょう) 甲府城(こうふじょう) 松本城(まつもとじょう) 上田城(うえだじょう) 高松城(たかまつじょう) ...

 

目次