芹沢鴨ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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芹沢鴨
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新撰組局長首座 芹沢鴨 (集英社文庫)

 

芹沢鴨(せりざわかも)
幕末期(江戸時代末期)を生きた
新撰組初代筆頭局長です。

誕生時期:1832年頃
死亡時期:1863年10月30日

 

この記事では
芹沢鴨とはどんな人だったのか
何をした人だったのかを
なるべく簡単な言葉でわかりやすく紹介していきます。

 

 

芹沢鴨ってどんな人?

新撰組初代局長 壬生の狼 芹沢鴨 (G2Comix)

  • 芹沢鴨の誕生日
  • 芹沢鴨は天狗党にいた説あり
  • 芹沢鴨、浪士組に
  • 芹沢鴨、浪士組から離脱
  • 芹沢鴨、壬生浪士の筆頭に
  • 問題が多かった芹沢鴨
  • 芹沢鴨の最期

芹沢鴨の誕生日

芹沢鴨の誕生日などについては
諸説があり、確定されていません。

芹沢鴨は1832年頃
常陸国水戸藩(現・茨城県)芹沢村で誕生
というのが有力とされています。

 

「芹沢鴨」は本名ではなく
下村嗣次木村継次という名前
だったと推測されています。

 

また、戸賀崎熊太郎から
神道無念流剣術を学んで、
免許皆伝を受けて師範代を務めたとされています。

 

芹沢鴨は天狗党にいた説あり

芹沢鴨は、新撰組として活動する以前は
「天狗党」という団体にいたようです。

 

天狗党とは水戸藩の尊王攘夷派
集まりで、反改革派からは彼らが
鼻高々の成り上がり者”に見えたことから
蔑む意味で「天狗党」と呼ばれたそうです。

 

天狗党の過激派の行動により、
芹沢鴨を含む天狗党の幹部は拘束されます。

しかしその2年後に釈放されますが、
それ以降、本名を隠して「芹沢鴨」と名を変えたと言われています。

 

芹沢鴨、浪士組に

※浪士(ろうし)組とは
新撰(しんせん)組の新選組の前身集団。
つまり、新撰組の元となる組織です。

 

1863年、
尊王攘夷派の清河八郎(きよかわはちろう)
将軍の警備という名目で「浪士組」の
結成を江戸幕府に認めさせます。

 

この「浪士組」への募集に芹沢鴨は
新見錦、平山五郎、野口健司、
平間重助らと一緒に参加し、六番組小頭に任命されます。

その際に、天然理心流剣術道場試衛館の
近藤勇土方歳三沖田総司らも加わり京都まで行動を共にします。

 

 

芹沢鴨、浪士組から離脱

芹沢鴨らが京都に到着した頃、
清河八郎は浪士組を朝廷の直属に
することに成功します。

つまり、浪士組の人たちは
「幕府を守る」為ではなく
「天皇の配下として働く」為
集められたということだったのです。

 

これに反発した芹沢鴨や近藤勇らなどは
京都に残って浪士組からは離脱します。

 

芹沢鴨、壬生浪士の筆頭に

芹沢鴨と近藤勇らは、
当時京都の守護を任されていた会津藩の
松平容保から「京都の市中見廻り」の
仕事を与えられます。

そして「壬生浪士(みぶろうし)」と
呼ばれるようになり、芹沢鴨が筆頭となって活動を始めます。

 

 

問題が多かった芹沢鴨

しかし、芹沢鴨は乱暴な態度で
問題を起こしてばかりいたそうで、
京都の市民や壬生浪士組内でも
評判が悪かったそうです。

問題を起こしていくうちに、
その行動は会津藩から疎まれるようになり
松平容保了承のもと近藤勇土方歳三らは芹沢鴨の暗殺を決行することにします。

 

芹沢鴨の最期

 

1863年、土方歳三沖田総司原田左之助
山南敬助らが芹沢鴨の寝室に忍び込んで暗殺します。享年37歳。

 

新撰組の発足からわずか半年ほどで
芹沢鴨は亡くなりました。

 

また暗殺された日にちは、
9月16日か9月18日と言われています。

 

最後に

新選組の道化師―新選組初代局長・芹沢鴨物語 (KCピース)

 

この記事では
芹沢鴨とはどんな人だったのか
何をした人だったのかを
なるべく簡単な言葉でわかりやすく紹介しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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