宇治川の戦いとは何か?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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宇治の朝霧橋
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宇治川の戦い(うじがわのたたかい)
平安時代末期に起こった合戦です。

 

治承寿永の乱の一つであり
この合戦により源義仲が敗れます。

 

宇治川の戦いとは何か?
どのような合戦だったのか?などなど
宇治川の戦いについて
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

宇治川の戦いとは?

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宇治川の戦いは
寿永3(1184)年1月20日
源義仲と、鎌倉の源頼朝が派遣した
源範頼、源義経とで行われた合戦です。

 

このときの梶原景季(かげすえ)
佐々木高綱との先陣争いは有名です。

 

源義仲は、志太義広を宇治川に遣わして
源義経の入京を阻もうとしました。

しかし源義経に突破されたので
北陸への脱出を図りますが、
源範頼軍の大軍が襲い掛かります。

 

源義仲軍は奮闘しますが、ついに
源義仲の顔面に矢が当たり、討ち取られます。

 

宇治川の先陣争い

宇治川の先陣争いとは、
『平家物語』に書かれている故事です。

源義経軍に、梶原景季と
佐々木高綱という2人の武将がいました。

この2人は宇治川で相対したときに
源頼朝から与えられた名馬の
生唼(いけずき)と磨墨(するすみ)に乗って
先陣を争ったというエピソード。

 

 

宇治川ってどんな場所?

宇治川歴史散歩

宇治川とは現在の
京都府宇治川市に位置します。

 

宇治川は、東南あるいは南方面からの
京都侵攻に対する格好の防衛線
なっていたため古来、この川を挟んだ
戦いが数回行われています。

この宇治川の戦いは、長い日本の
歴史の中で最も有名な合戦です。

 

宇治川の戦いの経緯

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1183年5月、
倶利伽羅峠の戦いで平氏軍を破った
源義仲は、平安京入りを果たします。

 

しかし京に入った源義仲は、
横暴な振る舞いで法皇や天皇、
貴族たちに嫌われていたそうです。

さらにライバルの源頼朝が活躍をし、
弟の源義経と源範頼を平安京に派遣します。

 

自身の立場が危ういと感じた源義仲は、
武力で当時の権力者である後白河法皇
幽閉して、自らの思う通りに政治を動かせようとします。

 

こうして1184年1月、
法住寺合戦が繰り広げられます。

 

これは後白河法皇と源義仲の戦いといい
戦は源義仲が圧勝しましたが、法皇に
刀を向けたということでさらに人望を失います。

入京時には数万騎だった源義仲軍は
人望を失ったことなどが災いして
1000騎あまりにまで減っていました。

 

そしてその後、源頼朝は近江にまで
進出させていた源義経と源範頼に
源義仲追討を命じたのです。

 

 

最後に

京都 宇治川探訪―絵図で読みとく文化と景観

宇治川の戦いとは何か?
どのような合戦だったのか?などなど
宇治川の戦いについて
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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