二条城(にじょうじょう)は京都市中京区二条通堀川西入二条町にあるお城です。
二条城とはどんな城なのか?
二条城の城主は誰だったのか?
この記事では
二条城の歴史や城主だけでなく
観光での見どころについても
分かりやすく解説していきます。
二条城の歴史【いつからあるお城?】
二条城の歴史をたどると
江戸時代にまで遡ります。
江戸時代の最初の年である1603年、
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が
上洛(じょうらく)するときの宿所として
京都の大宮押小路に二条城を建てます。
※上洛(じょうらく):京都に行くこと
徳川家康の時代の二条城は
豊臣秀頼と謁見(えっけん)したり
大坂の陣で徳川家康の拠点となったり
政治の場として大いに活躍されました。
※謁見(えっけん):貴人または目上の人に会うこと
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。
引用:二条城公式HP
そして1624年
第3代将軍である徳川家光が
二条城で天皇の行幸を迎えるため
城の拡張や整備を始め、1626年に
本丸・二の丸・天守閣を完成させます。
※行幸(ぎょうこう、みゆき):天皇が外出すること
1634年、徳川家光が
二条城の城主となります。
しかし徳川家光が上洛して以後、
幕末まで徳川将軍は二条城に入らず
230年間使われなかった二条城は荒れ果てていきます。
途中1750年には落雷により
天守が消失してしまいます。
それから幕末になり
1862年に、二条城の二の丸御殿は改修されました。
その後1867年、徳川慶喜が
この二条城にて大政奉還をし、
200年続いた徳川幕府は幕を閉じたのです。
1952年、二の丸御殿6棟が国宝に、
本丸御殿隅櫓など22棟の建物が
重要文化財に指定されました。
さらに翌年には、
二の丸庭園が特別名勝に指定されます。
1994年には、二条城が
ユネスコの世界遺産リストに登録され
2005年には築城400年記念の展示、収蔵館が開館されました。
二条城の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
二条城の見どころを
紹介していきます!
観光前に要チェックです!
二の丸御殿【二条城の見どころ】
二条城の「二の丸御殿」の中だけでも
面積が3300平方メートルあり、33部屋もあります。
二条城の見どころとしては
特に以下の部屋がおすすめです。
- 車寄せ
- 遠侍
- 式台
- 大広間
- 蘇鉄の間
- 黒書院
- 白書院
御殿には狩野探幽ら狩野派が
描いた障壁画などがあります。
武器を収めた場所、将軍の寝室など
大名の生活していた場所を知ることができます。
庭園【二条城の見どころ】
二条城には3つの庭園があります。
- 二の丸庭園
- 本丸庭園
- 清流園
江戸時代に作られた二の丸庭園は
泉回遊式庭園で、特別名勝に指定されています。
清流園は、昭和に作られた庭園で、
日本全国の庭園ランキングでは
上位にランクインするほどの名園です。
最後に
二条城の歴史や城主、
観光での見どころについて
なるべく分かりやすく解説しました。
日本のお城の歴史や城主に興味のある方や
二条城を観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。