幕末期と呼ばれる江戸時代末期に
尊王攘夷派による
尊王攘夷運動というものが行われます。
この尊王攘夷運動によって、
日本の歴史は大きく動き始めます。
尊王攘夷運動とは何か?
どのようなものだったのか?などなど
尊王攘夷運動について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
尊王攘夷運動とは?
尊王攘夷運動とは、幕末に
尊王攘夷派によってさかんに
行われた反幕府運動です。
江戸幕府のやり方に不満を持っていた
尊王攘夷派の下級武士たちが
朝廷の尊王攘夷派公家と結んで活発な
反幕排外運動を行ったのです。
特に長州藩(山口県)や水戸藩(茨城県)を中心に
地位が低い武士に広まっていきます。
また1858年から
井伊直弼によって行われた安政の大獄で
多くの尊王攘夷派で処罰されます。
このことは尊王攘夷派を刺激し、
ますますその運動は激しくなりました。
尊王攘夷運動の具体的な出来事
ここでは、具体的な
尊王攘夷運動の出来事を
紹介していきます。
- 桜田門外の変
- ヒュースケン殺害事件
- 東禅寺事件
- 生麦事件
- イギリス公使館焼き討ち事件
- 下関砲撃事件
- 薩英戦争
尊王攘夷派の人々は外国人を襲い
ヒュースケン殺害事件などが起こります。
ほかにも、長州藩士の
高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文(伊藤俊輔)らは
外国船を砲撃を行ったり、日本にある
イギリス公使館を焼討ちにするなど
過激な反幕府運動を行います。
また井伊直弼は、尊王攘夷派を
安政の大獄によって弾圧したことで
水戸藩士らに暗殺されてしまいます(桜田門外の変)。
しかし、尊王攘夷運動の中心であった
長州藩や薩摩藩(鹿児島県)は、薩英戦争や
四国艦隊下関砲撃事件などで
外国勢力の実力を見せつけられます。
攘夷が不可能であると悟ると、
攘夷論から開国論へと転換をして
幕府を倒す倒幕運動が繰り広げられるようになっていったのです。
尊王攘夷運動が起こる経緯
江戸時代には、
主君と臣下の違いを説いた朱子学や
日本古来の精神を主張した復古主義の
国学が盛んとなります。
その中で、天皇を尊ぶ「尊王」論が高まります。
また1853年に
ペリー率いる黒船が来航したことで
外国勢力を追い払う「攘夷」論が広まります。
その思想的基盤となったのは
藤田東湖、会沢安(正志斎)らが
唱えた水戸学です。
これらの思想の人々は、夷敵(いてき)として
退けるべき西洋諸国の圧力に屈した幕府が、
国交を開いたことで憤激します。
さらに開国後は、外国貿易に伴って
国内で生活必需品が不足してしまい、
物価が上昇します。
庶民の生活ははなはだしく貧困し、
諸藩の下級武士たちは幕政への
不満をつのらせていったのです。
最後に
尊王攘夷運動とは何か?
どのようなものだったのか?などなど
尊王攘夷運動について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。