親子丼は安価な材料かつ手軽に作れ、
バランスも摂れた素晴らしい丼ぶりだと思います!!
しかも、ふわとろで美味しい♪
そんな親子丼はどのようにして誕生したのでしょうか?
この記事では、
親子丼発祥の地や起源、歴史について
簡単にわかりやすく解説していきます。
親子丼発祥の地はどこ?【親子丼の起源について】
親子丼発祥の地は東京都中央区人形町にある
「玉ひで」という鶏料理のお店です。
親子丼の起源になったのは
店で出されていた軍鶏鍋を卵でとじて
ご飯と一緒に食べるお客がいたことで考案されます。
「親子煮」と呼ばれていたそのシメ料理を
食べやすいようにと5代目当主の妻が
ご飯の上に乗せたことで「親子丼」が誕生しました。
親子丼の歴史
親子丼の歴史が始まるのは明治時代に入ってからになります。
しかし、親子丼発祥の地である「玉ひで」は
1760年創業の江戸時代から続く老舗料理屋です。
ここから親子丼がどのようにして世の中に知られていくのでしょうか?
親子丼は高級料理だった?!【親子丼の歴史】
親子丼発祥の地である「玉ひで」は開店時、
軍鶏鍋屋として将軍や大名などのお屋敷に出向く出張料理を行っていました。
醤油とみりんだけの割下に軍鶏肉を入れ
浅い鍋で煮る軍鶏鍋は当時の高級料理とされ、
これがすき焼きのルーツになったとも言われています。
代々受け継がれ軍鶏料理屋が続いていく中、
明治20年頃にお客が軍鶏鍋を卵でとじて
食べているのをヒントに親子丼が考案されました。
今では親子丼の中に
玉ねぎや三つ葉が入る物が多く存在しますが、
軍鶏鍋後のシメ料理であったため
割下で煮た鶏肉と卵だけで作られるシンプルな物でした。
江戸時代の頃は高級品であった卵は
明治時代には手軽に食べることができたため、
卵が取り入れやすくなったのも親子丼が誕生した理由の1つでしょう。
親子丼はお店で食べられなかった?!【親子丼の歴史】
明治時代に親子丼が誕生するも、
「玉ひで」は伝統ある軍鶏料理屋でした。
丼物というのは料亭の料理ではない
と軽んじて見られていたため、
考案当初は親子丼を店で出すことはなく
出前限定のメニューとしていました。
しかし、
あまりの美味しさにすぐに評判となり、
それを真似た親子丼の店があちこちにできたそうです。
「玉ひで」ではお客の強い要望によって
1981年ようやくお店で提供されるようになりました。
今でも「玉ひで」の親子丼は野菜は使わず、
鶏本来のうまみが感じられる当時の親子丼を作っています。
やがて親子丼は全国へ広まっていき、
彩りや栄養バランスのために野菜が入るのが一般的になりました。
また、
関東や関西によって出汁に違いがあったり、
鶏の部位によって味や食感に違いを出すなど
その店独自の親子丼が作られていきます。
こうして高級料理のシメであった「親子丼」は
今では手軽に食べられる外食店も多く存在し、
家庭料理としても定番のメニューになりました。
最後に
この記事では
親子丼発祥の地や起源、
歴史について簡単にわかりやすく解説しました。