井伊直虎ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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戦国の姫城主 井伊直虎 (角川つばさ文庫)

 

井伊直虎(いいなおとら)
戦国時代(室町時代後期)から
安土桃山時代を生きた遠江井伊谷の領主です。

誕生時期:不明
死亡時期:1582年9月12日

 

 

次郎法師(じろうほうし)と同一人物で
女性だったのではないかと考えられています。

 

この記事では
井伊直虎とはどんな人だったのか
何をした人かをわかりやすく簡単な言葉で解説していきます。

 

 

井伊直虎ってどんな人?

女城主・井伊直虎 (PHP文庫)

井伊直虎の誕生日

井伊直虎は、1530年代に
遠江井伊谷城主(現・静岡県浜松市)で
井伊家22代当主の井伊直盛の娘として誕生します。

※具体的な誕生日は不明ですが、
1536年前後に生まれたとする説があります。

 

井伊直虎と出家

父の井伊直盛には男子がいなかった為、
早い時期から、従兄弟にあたる井伊直親を
婿養子に迎えて家督を継がせる予定でした。

 

しかし、井伊直親の父である井伊直満に
今川義元への裏切りの疑いにより自害させられます。

 

それに合わせて、息子の井伊直親も
井伊家の領地から武田領の信濃へ逃げ出します。

 

井伊直親と結婚する予定であった井伊直虎は、
龍潭寺(りょうたんじ)で出家して次郎法師と名乗ります。

 

11年後、井伊谷に戻った井伊直親は
井伊直盛の養子となって奥山家の娘と
結婚して虎松が生まれます。

この虎松が井伊家24代当主の井伊直政です。

 

 

井伊直虎と井伊家存続の危機

井伊一族 - 直虎・直政・直弼 (中公文庫)

 

1560年、父の井伊直盛が
桶狭間の戦いにて戦死。

 

この時に、多くの家臣も亡くなり、
井伊家は大きな損失を被ります。

 

さらに23代当主の井伊直親も
小野道好(おのみちよし)の讒言(ざんげん)
よって殺されてしまいます。
※讒言=事実をねじ曲げて、その人のことを目上の人に悪く言うこと。

 

井伊直親もいなくなり、井伊の名を
継ぐ男子はまだ5歳という幼い虎松だけとなり、井伊家存続の危機に。

 

 

女領主の井伊直虎

 

1565年、龍潭寺和尚のはからいで
次郎法師は還俗して「井伊直虎」と
名を改めて井伊家の女領主となります。

井伊直虎は、
今川氏が出した井伊谷徳政令の施行を
巧みな交渉力を発揮して、2年間
引き延ばすなど優れた内政手腕を発揮します。

 

また、井伊家の家臣であった小野道好(政次)は
井伊家の所領を狙う脅威となっていました。

井伊直親の殺害のきっかけともなり、
他にも横暴なふるまいが続きます。

 

1568年には、小野道好に
居城の井伊谷城を奪われます。

しかし小野道好のふるまいに反逆した
近藤康用、鈴木重時、菅沼忠久ら
井伊谷三人衆に、三河国の徳川家康
加担したおかげで実権を回復します。

 

 

そして1570年、小野道好に対する
井伊直親への讒言の件を咎めた処刑を
徳川家康に嘆願して、実現させます。

 

その後、井伊直虎は
婚約者であった井伊直親の子どもである
井伊直政を養子として育てます。

1575年、15歳となった井伊直政を徳川家康に仕えさせます。

 

井伊直虎の最期

井伊直虎は
1582年9月12日(天正10年8月26日)に亡くなります。

 

井伊直虎は、女性であったことから
歴代当主に記名はありませんが、井伊家受難の時代を救った女領主として今も語り継がれています。

 

 

 

最後に

井伊直虎と戦国の女傑たち (知恵の森文庫)

 

この記事では
井伊直虎とはどんな人だったのか
何をした人かをわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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