前島密とは?郵便制度の創設者?【簡単にわかりやすく解説】
前島密(まえじまひそか)は
江戸時代後期に誕生し
大正時代まで生きた官僚、政治家です。
誕生時期:1835年1月7日
死亡時期:1919年4月27日
前島密は明治時代に活躍しました。
現代でも「郵便制度の父」と呼ばれて
1円切手の肖像でも知られています。
前島密とはどんな人だったのか?
郵便制度の創設者?などなど
前島密について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
目次
前島密とは?
前島密の誕生日
前島密(まえじま ひそか)は
1835年2月4日(天保6年1月7日)に
越後国(現在の新潟県)で豪農の
上野家の次男として誕生します。
幼い頃に父が亡くなり、母方の叔父の
糸魚川藩医である相沢文仲に養われます。
前島密と黒船来航
1847年、前島密は江戸に出て
蘭学、英語を学びつつ医学を修めます。
1853年、ペリーの黒船を浦賀に見に行き
日本の海防に興味を持った前島密は、
翌年から約6年間、全国の港湾を調査します。
前島密と漢字廃止論
1866年、31歳の前島密は
幕臣だった前島家を継ぎます。
前島密は国字改良論者でもあり、
将軍徳川慶喜に「漢字御廃止之儀」を提出しています。
前島密は、国民に学問を広めるには
難しい漢字を廃止すべきだと考えたのです。
明治維新後の前島密
1868(明治1)年、前島密は
大久保利通の大阪遷都論に反対し、
江戸遷都の意見を申し立てます。
大政奉還後の前島密は
駿河藩(現在の静岡県)留守居添役となり、
のちに明治政府に出仕します。
前島密と郵便制度の確立
明治政府には、渋沢栄一をトップとする
「改正掛」という係がありました。
ここで様々な議論がなされ、
西洋に負けない国づくりの一環として
通信と交通のインフラ整理に関する
主張をしていた前島密が、その仕事を
任されることになります。
前島密は駅逓(えきてい)頭や駅逓総監を歴任し、
日本の近代郵便制度の創設に尽力します。
1870年6月、前島密は東海道の宿駅を
利用した新式郵便制度を立案。
その後、イギリス留学をして
郵便事業を学びます。
「郵便」「切手」「葉書」という
名称を定めたのも前島密です。
日本の近代郵便制度の基礎を確立したのです。
前島密と大隈重信
その後前島密は
明治十四年の政変により政府を去り、
大隈重信らとともに立身改進党を創立。
さらに早稲田大学の前身である
東京専門学校校長や関西鉄道社長を務めます。
晩年の前島密
1888(明治21)年、逓信次官として
役人社会に復帰し、電話事業の創始にあたります。
退官後は再び実業家として活躍したのち
男爵、貴族院議員となります。
前島密の最期
前島密は
1919(大正8)年4月27日に亡くなります。享年84歳。
最後に
前島密とはどんな人だったのか?
郵便制度の創設者?などなど
前島密について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。