三井寺(みいでら)の名前で知られる
長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)とは
滋賀県大津市にある寺です。
天台寺門宗の総本山であり、
日本三不動の一つである黄不動でも有名です。
この記事では
三井寺(園城寺)の歴史や伝説だけでなく
見どころもわかりやすく簡単に解説していきます。
滋賀県「三井寺(園城寺)」の歴史をわかりやすく簡単に
三井寺(園城寺)の歴史は
飛鳥時代にまで遡ります。
672年に壬申の乱が起こり、
天智天皇の子の大友皇子が
25歳の若さで亡くなります。
そして、その大友皇子の子の大友与多王が
父の菩提のために天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺を建てます。
これが三井寺(園城寺)の誕生の起源です。
その後時は流れ、平安時代の829年に
唐(中国)から帰国した留学僧の円珍が
比叡山に登って三井寺を繁栄させました。
三井寺は平安時代以降、皇族から武家まで幅広い人々から信仰されていましたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立が激化。
そのため、三井寺は延暦寺の宗徒によって、焼き討ちされてしまうことが度々ありました。
さらに安土桃山時代に入ると
豊臣秀吉によって寺領を没収されて
三井寺は廃寺同然となったこともあります。
しかし、こうした苦難を何度も乗り越えて
その都度再興されたことから、三井寺は
「不死鳥の寺」とも称されています。
弁慶の引き摺り鐘【三井寺(園城寺)の伝説】
三井寺(園城寺)には
いくつかの伝説が残されています。
ここで紹介する弁慶の引き摺り鐘は、「武蔵坊弁慶」のお話です。
源義経のお供をしていた弁慶は、比叡山延暦寺の僧侶でした。
三井寺が延暦寺の門徒によって焼き尽くされた際に、なんと弁慶は三井寺の鐘を奪って比叡山へ引き摺り(ひきずり)ます。
しかし、その鐘を鳴らしてみると「イノー、イノー」(関西弁で帰りたい)と響いた為に、弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。
鐘にはその時のものと思われる傷跡などが残り、現在は金堂西方の雲鐘堂に安置されています。
三井寺(園城寺)の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
三井寺(園城寺)の見どころを
わかりやすく簡単に紹介していきます。
三井の晩鐘【三井寺(園城寺)の見どころ】
三井の晩鐘(みいのばんしょう)は、
近江八景の一つとされています。
三井寺の鐘楼に吊るされている鐘は
平等院の梵鐘、神護寺の梵鐘と共に
日本三名鐘の一つでもあります。
音色の美しさから、三名鐘の一つに選ばれており、大晦日にはその音色をきくことができます。
最後に
この記事では、滋賀県「三井寺(園城寺)」の歴史や見どころについて、なるべくわかりやすく簡単に解説しました。
少しでもあなたのお役にたてば嬉しいです。