永倉新八の死因とは?どんな最後だった?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】

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結論からいいますと
永倉新八の死因は病死です。

  • 永倉新八の誕生日:1839年5月23日
  • 永倉新八の命日:1915年1月5日

※永倉新八の最期(最後)の年齢は75歳

 

永倉新八の死因となった病気は
もともとは虫歯がきっかけでした。

虫歯が原因で骨膜炎敗血症が発症して
75歳で永倉新八は人生の最期(最後)を迎えます。

※骨膜炎:骨の周囲に存在する骨膜に炎症が起こった病気。

※敗血症:感染症への反応が制御不能に陥り、臓器機能障害が生じる臨床症候群

 

永倉新八の最後(最後)の地は、北海道の小樽でした。

柴犬

 

永倉新八はどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】

新撰組顛末記 (新人物文庫 な 1-1)

永倉新八(ながくらしんぱち)は幕末期(江戸時代末期)に誕生し、大正時代まで生き続けた新撰組二番隊組長です。

また、撃剣師範なども務めました。

  • 永倉新八の誕生日:1839年5月23日
  • 永倉新八の命日:1915年1月5日

※永倉新八の最期(最後)の年齢は75歳

 

永倉新八はどんな人だったのか?
永倉新八は何をした人なのか?などなど
永倉新八の生涯(最初から最期まで)について
わかりやすく簡単な言葉で解説していきます。

 

永倉新八の誕生日

永倉新八は
1839年5月23日(天保10年4月11日)に
松前藩上屋敷(現・東京都台東区)
松前藩江戸定府取次役である
永倉勘次(かんじ)の子(次男)として誕生します。

 

松前藩(現・北海道)出身ですが、
江戸で生まれて江戸で育ちます。

 

剣術好きで脱藩

永倉新八は幼い頃に岡田利章の
神道無念流剣術道場「撃剣館」に入門。

15歳で紙切、18歳で目録と
着実に剣術の腕を磨きます。

1856年、元服して新八と名乗って
剣の技術を磨くために、脱藩します。

 

その後、近藤勇の道場である天然理心流「試衛館」の居候となります。

 

永倉新八、新選組の二番隊組長に

永倉新八は、近藤勇らと共に
浪士組に参加するため上洛します。

芹沢鴨(せりざわかも)と永倉新八は同じ神道無念流で親しかったことから、芹沢鴨暗殺の際に永倉新八は参加していなかったそうです。

柴犬

 

新選組結成後、永倉新八は二番隊組長撃剣師範を務めるなど活躍します。

 

永倉新八と池田屋事件

歴史でも有名な池田屋事件では、
近藤や沖田総司らと共に突入して
永倉新八は左手親指に深い傷を負いながら
刀が折れて、防具がボロボロになるまで戦いました。

 

この活躍によって、新選組は
その名を天下に轟かせることとなります。

 

しかしその後、近藤勇に
ワガママな振る舞いが目立つようになると、
不満に思った永倉新八は、斎藤一らと共に
脱藩と切腹覚悟で近藤の非行五箇条
会津藩主の松平容保(かたもり)へ直訴しています。

両者は容保のとりなしで和解します。

 

靖兵隊を結成

1868年の鳥羽伏見の戦いでは
決死隊を募って銃弾戦の中、永倉新八は
刀一つで果敢に参戦しますが、敗北します。

 

そして甲州勝沼の戦い後、
ついに近藤勇との関係を断って
靖兵隊(せいへいたい)を結成します。

北関東にて抗戦しますが、
会津藩が降伏したことを知って江戸に戻ります。

 

 

後に永倉新八は、松前藩に戻ります。

1871年には藩医の杉村介庵の
婿養子となり家督を相続します。
杉村治備(後に義衛と改名)と名乗ります。

 

明治維新の後は北海道小樽に移って
刑務所の剣術師範を務めて、
退職後は東京牛込にて剣術道場を開きます。

 

また、晩年は
新撰組に関する「新選組顛末記」や
七ケ所手負場所顕ス」などを記して、
近藤勇や土方歳三の墓を建立したり新選組の功績を顕彰しました。

 

永倉新八の最期

永倉新八は1915年(大正4年1月15日)、
虫歯が原因で骨膜炎と敗血症を患い、
小樽にて亡くなります。享年75歳。

 

永倉新八の死因は病死です。

  • 永倉新八の誕生日:1839年5月23日
  • 永倉新八の命日:1915年1月5日

※永倉新八の最期(最後)の年齢は75歳

 

永倉新八の死因となった病気は
もともとは虫歯がきっかけでした。

虫歯が原因で骨膜炎敗血症が発症して
75歳で永倉新八は人生の最期(最後)を迎えます。

※骨膜炎:骨の周囲に存在する骨膜に炎症が起こった病気。

※敗血症:感染症への反応が制御不能に陥り、臓器機能障害が生じる臨床症候群

 

永倉新八の最後(最後)の地は、北海道の小樽でした。

柴犬

 

 

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